力を抜いた“いつも通り”の姿勢でボランティアと文化交流を
今、振り返れば、そのままアメリカの大学に進んでも、いずれ大きな影響を受けたICUの学生たちの背景にあるリベラルアーツの教育に触れることはあっただろう。しかし、多感でまだ確固たるアイデンティティが定まっていない高校生というタイミングで、オリンピックという印象深い舞台で触れたからこそ、竹内さんの心は大きく動き、進路変更という行動につながったように感じる。
「妻ともICUで出会ったし、今年からICUの理事長も務めることになりました。まさに運命だったんでしょうね」。
オリンピックのボランティアに参加したからこそ、自分のアイデンティティが定まり、人生が変わった。
「陸上短距離のスタートシーンを描いた1964年の東京オリンピックのポスターがありますよね? あの選手の中で日本人選手は一番奥にいる。それは“世界に追いつけ、追い越せ”という気持ちだった当時の日本を象徴している気がします。だから、オリンピックは、敗戦後の日本がここまで来たぞ、と日本が国を挙げて世界にアピールするイベントという印象が強い。インターナショナルスクールに通っていた私は、すごく自分が日本人であることを意識させられました。ナショナル・プライドのようなものを感じたというか」。
だから、2020年の東京オリンピックでも、ボランティアに携わる人々にはそんな経験をしてほしいと願っている。
「ボランティアというよりもアンバサダーという気持ちと誇りを持ってもらうのがいいのではないでしょうか。ただ、だからといって特別なことをする必要はありません。いつも通りの気持ちでいい。渋谷のスクランブル交差点のように、混沌としている中にも秩序があったり、どんな仕事にも誠実と思いやりをもって取り組んだり。外国人の方は、そんな“いつも通りの日本”に驚き、感動していますから」。
世界中からたくさんの人が訪れるオリンピックは、スポーツの祭典だが、一方で、国内・海外、たくさんの人々が交わり、文化交流が発生するイベントでもある。
2020年も、18歳のときの竹内さんのような「出会い」に恵まれる人々が、きっとたくさん生まれるはず。竹内さんも、人生2度目のオリンピック・ボランティアに参加する予定だ。
[話を聞いた人]竹内弘高(たけうちひろたか)1946年生まれ。1969年、国際基督教大学卒業。71年、米カリフォルニア大学バークレー校で経営学修士(MBA)、77年に博士号を取得。ハーバード大学経営大学院(ハーバード・ビジネス・スクール)講師・助教授、一橋大学商学部の助教授を経て87年、一橋大学教授に就任。2010年、一橋大学名誉教授。ハーバード・ビジネス・スクール教授。『知識創造企業』『トヨタの知識創造経営』など著書多数。複数の企業で社外取締役も務める。
田澤健一郎=取材・文