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コピーが溢れた、鮮烈なデビュー作


鹿子木は無類のレコードコレクターだった。大学卒業を間近に控えた鹿子木は悶々とする。このままサラリーマンにはなりたくない。なんとか憧れのイギリスで暮らす方法はないものか──そうして辿り着いたのがロンドンにある靴の学校だった。親を説得する材料を見つけた鹿子木は、慌ただしくイギリス行きを決めてしまう。
とりたてて靴に興味を持っていたわけではなかった鹿子木は渡英そうそう、浅はかな思いつきを悔やむことになる。鹿子木が選んだ学校はコードウェイナーズ・カレッジといって、ジミー チュウや’90年代に一斉を風靡したパトリック・コックスが学んだ名門中の名門。同級生の半分以上は経験者だった。1年は頑張ったが、緊張の糸はそこで切れた。それからは「Tシャツを数えるバイトとかレコードショップ巡りをして過ごしました」。
そんなときに出会ったのが木村大太。カリスマと呼ばれたロンドンのシューデザイナー、ジョン・ムーアの遺志を継ぎ、チャールズ・ディケンズの小説の舞台にもなったジ・オールド・キュリオシティ・ショップで靴を作っている男である。そのアトリエは服や靴、音楽の道で生計を立てたい若者の溜まり場だった。
学校はドロップアウトしたが、靴づくりには面白さを感じていた。レコードショップに飽きると、鹿子木は中古で手に入れたポストミシンでアッパーを縫ったりして過ごした。「よかったら紹介しようか」。そういって木村が連れていってくれたのがGEORGE COX(ジョージ コックス)。鹿子木が工場に持ち込んだサンプルはシューレースを踵に配した、これまでにないデザインだった。のちにコピーが溢れることになるその一足がシューインポーターの嚆矢、ジャック・オブ・オール・トレーズの目にとまって、日本でのデビューが決まった。
その靴はロンドンの地下鉄で思いつき、その場でスケッチしたデザインだった。


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