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2019.05.21

ライフ

異色の経歴を持つ「ジェイエムウエストン」ディレクターが描く未来

昨年1月、ジェイエムウエストンのディレクターに就任したオリヴィエ・サイヤール氏。パリで20年以上にわたりモードの世界で活躍してきた人物である。ただしアパレル業界ではなく、美術館の辣腕キュレーターとして。
ジェイエムウエストンとは?
1891年、エドゥアール・ブランシャールによりフランス中部の街リモージュにて創業。量産技術を学ぶため米マサチューセッツに渡った2代目のユージェーヌがグッドイヤーウェルト製靴機械を導入すると、フランスを代表する靴ブランドに。1922年、パリ・クルーセル大通りに1号店をオープン。代表作「180 シグニチャーローファー」は’46年に登場。’60年代にはシャンゼリゼ通りでお洒落を競った若者たちがそのローファーを履き、社会現象となった。

「いつか、あらゆる“靴の古典”が揃う店を作りたい」

オリヴィエ・サイヤール 氏 2017年に「ピッティ・イマージネ・ウォモ」のアーティスティックコンサルタントに就任。’18年1月よりジェイエムウエストンにて現職。
アーティスティック・イメージ&カルチャー・ディレクター オリヴィエ・サイヤール 氏 1967年、フランス・ポンタルリエ生まれ。大学で美術史を学び、マルセイユモード美術館、パリ装飾芸術美術館を経てガリエラ宮モード美術館へ。館長として多くのエキシビションを成功させた。2017年に「ピッティ・イマージネ・ウォモ」のアーティスティックコンサルタントに就任。’18年1月よりジェイエムウエストンにて現職。趣味は読書と日本のウイスキー。愛猫の2匹の名はオスが「おおきに」、メスが「おんな」。大の日本びいきで京都に1年暮らしたことも。
クラフトペーパーに着想を得た「コレクション パピエ」。昨年その靴を見て、オリヴィエ・サイヤールという男の起用は正しかったと喜んだ。定番「180 シグニチャーローファー」のデザインはそのままに、甲にインクを散らしたようなあしらいは、ウィットに富んだフランス人ならではの遊び心であり、定番のきわめて正しいアップデートに思えたからだ。
「初めて訪れたリモージュの工場で、古き佳き職人の仕事ぶりと同じように惹かれたのが、1世紀以上もひっそりと佇んできた資料の数々でした。そこに付着した黒ずみを、私はたまらなく美しく感じたのです」。
「コレクション パピエ」から伝わってきたのはオリジンへのオマージュである。なるほど彼が美術の世界で名を馳せてきたのも、もっともだと思った。
「私は歴史が好きでした。そして歴史に劣らず好きだったのがモードファッション。ところが美術館の仕事のなかでモードの地位は低かった。何であれ過去を知るのは大切なことです。私はモードの世界を、未来に向けてきちんと記録する必要があると考えました」。
マルセイユモード美術館のディレクターとしてキャリアをスタート。当初は苦労の連続だった。
「展覧会を企画しても当のデザイナーが難色を示してきましたからね。過去は振り返りたくない、とか、まだ死んでいないのに、とかね(笑)」。
そしてパリのガリエラ宮モード美術館の館長に就任して8年。一歩進んで二歩下がるような仕事を地道に進めていった。企画した展覧会は数えれば、いつしか140を超えていた。
「それなりにモードの地位を向上させたという自負はあります。でも50歳を迎えてはたと気付くんです。定年までずっとこの仕事を続けるのだろうか、って。50歳は、新たなことに挑戦できる最後の年齢ではないでしょうか」。
美術館の仕事もジェイエムウエストンの仕事も、歴史に軸足を置くことに変わりはない。学んできた視点は必ず役立つはず──との読みは当たった。冒頭の「コレクション パピエ」に靴好きは唸った。その熱は、かつてシャンゼリゼにたむろし、こぞってジェイエムウエストンのローファーを履いた若者たちのそれに通じるのかもしれない。
「ピアノを弾くには音符が必要です。そこはいじっちゃいけない。でも、弾き手が変われば音色は変わる。先人が創造した音符を愛おしみつつ、自分なりの調べを生み出す。それが私に課せられた使命であると固く信じています」。
もちろんさらなる構想もある。
「世界中の伝統的な靴をジェイエムウエストンの名で作るつもりです。サボ、ウエスタンブーツ、バブーシュ、それに足袋もね。あらゆる“靴の古典”が揃う店を作りたい。本物の古典と並べても見劣りしない靴を見たユーザーは、『ウエストンは生きたヘリテージである』と改めて気付かされるでしょう」。
なんという壮大な計画。しかしながらその靴を作る職人たちは、就任当初、海のものとも山のものともつかないサイヤール氏にけんもほろろだったとか。
「最初は『そんなの無理だ』と頭から否定してくる。でもそれはフランス人ならではの受け答えです(笑)。だから懲りずにコミュニケーションを図りました。今では月曜にアイデアを出すと、その週のうちにプロトタイプが上がってきます。そうして付き合ってみて、私は理解しました。彼らはパリのオートクチュールの職人にも負けない、技術と誇りを持つ職人集団なのだと」。
 
竹川 圭=文 加瀬友重=編集


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