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城井さんは1963年生まれの55歳。この年代には幼少時にウルトラセブンに魅了された人が多い。城井さんが初めてウルトラセブンをテレビで見たのは幼稚園の頃。メカデザインのインパクトに強く影響を受けたという。
ポインター号を製作した城井康史さん(撮影:梅谷秀司)
その後は同世代の子供たちと同じように「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」にも魅了されていく。1980年代には日本SF大会に参加。後に「エヴァンゲリオン」で知られる庵野秀明氏らも参加し、その自主制作アニメーションが話題になった頃でもある。会場には国産車をベースにしてポインター号を自作した人がいた。格好良かった。「自分も面白いことをしてみたい」と城井さんは考えた。
就職してサラリーマン生活を送るようになると、仕事に忙殺され、「面白いことをやりたい」と考える余裕はなくなった。だが、1990年頃のある日、会社の近くの書店でたまたま手に取ったウルトラシリーズの関連書籍を立ち読みしているうちに、かつての熱意がよみがえった。「やっぱり、面白いことをやりたい」――。

酔った勢いで「ポインター号造る」

早速実践したのが、「帰ってきたウルトラマン」で活躍する防衛組織MATの特装車両「マットビハイクル」に乗って日本SF大会に参加することだった。マットビハイクルは、マツダ「コスモスポーツ」をベースに造られたが、ポインター号ほど手の込んだ改造はなされていない。
とはいえ、希少車だけに入手するだけでも難問だった。手を尽くして入手に成功。MATの塗装が再現されたマットビハイクルは日本SF大会の会場で注目を集めた。
どちらもウルトラシリーズに登場する車両という縁で、前述した国産ポインター号のオーナーと知り合うことができた。オーナーと話しているうちに城井さんは思いついた。「国産車を改造して車検が通るなら、アメリカ車を改造しても車検が通るのではないか」。
仲間うちで酒を飲んでいるうちに、酔った勢いで「1957年式クライスラーインペリアルを入手して、ポインター号を実際に造るぞ」と宣言した。
早速、複数の輸入代行業者に1957年式クライスラーインペリアルを買いたいと打診する。30年以上前のクルマなのでアメリカでもなかなか走っていない。確実に入手できるという自信があったわけではない。酔った勢いの話でもあり、打診したこと自体も忘れかけていた。


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