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2019.03.12

あそぶ

【前編】劣等感をバネに追い求めた「強さ」。格闘家・菊野克紀の進む道

総合格闘技と並行しながら、テコンドーで来年に迫った2020年の東京五輪出場を目指している、元UFCファイターの格闘家・菊野克紀(37)。
「僕の人生の目標は、ヒーローになることです」。
子供のような笑顔で夢を語るのは、元UFCファイターの格闘家・菊野克紀(37歳)だ。
2006年12月にプロデビューを果たし、総合格闘家としてのキャリアをスタートさせた菊野は、DREAMやUFCといった総合格闘技界の最高峰の舞台で活躍するなど、数々の実績を積み重ねてきた。現在は、総合格闘技と並行しながら、テコンドーで来年に迫った2020年の東京五輪出場を目指している。
日本屈指の総合格闘家は、なぜ、30代後半にさしかかった今、異競技への挑戦を決断したのだろうか。
そこには、幼い頃に抱いた劣等感と、それを克服するために追い求めた「強さ」への飽くなき挑戦があった。
 

劣等感を克服するために歩み始めた格闘家への道

現在の屈強な姿からは想像もつかないが、菊野は幼い頃、小心者で弱虫な子供だったという。周りの友達から無視され、孤独な時間を過ごすことも多かったそうだ。そんな自分の弱さに対して劣等感を持っていたため、幼い頃から「強くなりたい」という想いを募らせながら日々を過ごしていた。
中学生になると、その想いを胸に柔道部に入部。強さに憧れた少年は、メキメキと頭角を現し、高校2年生のときには県大会で優勝するまでに成長する。だが、優勝候補と目されて迎えた高校生最後のインターハイ予選で、1年生を相手にまさかの敗北を喫してしまう。
「すごくショックでした。部活を引退したあとはみんな受験モードに突入するのに、僕には夢がなく、なりたい職業も、行きたい大学もありませんでした。みんな頑張っている中で、宙ぶらりんな自分が不安でたまりませんでした」。

そんなある日のこと。菊野は、中学時代からの親友2人に大きな夢を打ち明けられた。2人でコンビを組んで、ビッグなお笑い芸人になるというのだ。やりたいことが見つからずに苦しんでいた菊野は、目をキラキラ輝かせながら強い語気で夢を語る親友を見て、とてつもなく悔しい気持ちになったという。焦る気持ちが走馬灯のように心の中を駆け巡る中、菊野が再び見つけたのは「強くなりたい」という想いだった。
「だったら俺は格闘家になる!」
気が付くとこう言い返していた菊野は、当時、強さの象徴だった総合格闘家の道へ大きな一歩を踏み出したのだった。
 

辿り着いた世界最高峰の舞台、そして挫折

高校を卒業してからの約5年間、極真会館で空手の修行を積んだのち、2005年に上京し総合格闘家として本格的に始動。アマチュア大会で結果を残し、念願のプロデビューを果たした。学生時代に励んだ柔道と、約5年の歳月をかけて習得した極真空手の打撃を織り交ぜた独自のスタイルが話題を呼び、2009年にはメジャー格闘技団体「DREAM」に参戦し活躍の場を広げていく。さらに、沖縄拳法空手という古くから沖縄に伝わる武術を取り入れるなど、貪欲に「強さ」を追い求めた。

その結果、菊野がたどり着いた舞台は、世界最強のファイター達が集うアメリカの総合格闘技団体「UFC」。外国人特有の強靭なバネやリーチの長さ、そしてオクタゴンと呼ばれるケージ(金網)で囲われた慣れない環境での試合に苦しみながらも、5試合戦って2勝3敗という戦績を残した。
そもそも体格に劣る日本人がUFCで勝利を重ねること自体が難しいことであり、決して失敗とは言えない結果のはずだが、菊野にとっては、この挑戦は大きな挫折だったようだ。

「最後の2連敗は本当に何もできなかった。勝ちたいがゆえに守りに入ってしまうメンタルの弱さが出てしまいました。心が張り裂けそうなぐらい苦しかったです」。
強さを追い求める男は、格闘家としてさらなる可能性を見出すべく、メンタルコーチングを受けたり、11年間所属していた道場を辞めてフリーとなる選択をするなど、新たなチャレンジを始める。だが、その先には予期せぬ異競技への挑戦が待っていた。
後編へ続く。
 
佐藤主祥=取材 瀬川泰祐=文・撮影


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