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空気の変化を感じたのは40歳を迎える直前のこと。プロデューサーやディレクターから「ヒロミさん、もうちょっと丸くなれない?」と言われることが増えていった。僕は世間から、スポンサーから、「タレント・ヒロミ」が求められなくなっていることを強く感じた。
何か不祥事を起こしたわけではない。しかし、潮が引くように出演番組が終わっていく。正直、薬物事件や暴行事件を起こしたわけでもないのに、ここで一気に? と自分でも不思議に思ったし、どこか笑える部分すらあった。
それでもしがみつき、テレビの仕事を続ける選択肢もあっただろう。ただ、その先に待っていたのは、支えてくれた番組スタッフからの「ヒロミさん、つまらないから芸能界に席はないです」という最後通牒だったとも思う。僕は、求められていない感の中であがいてしがみつくよりも、自分の意志で線を引くことを選んだ。「タレント・ヒロミ」を小休止させよう、と。
これは誰にも相談せずに決めた。「俺、時代に合わなくなってきた」と感じたからだ。
おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折だった。若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳でリストラされて途方に暮れる人。挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に対処しなくちゃいけなくなる。人生はそういうふうにできているのだと思う。

落ちぶれた自分を認める

今までどおりにはいかないかもしれない。そんな予兆を感じ取ったとき、多くの人はどうするだろう? 気のせいだと考えて、その場に踏みとどまることもできる。何かが起きると受け止めて、小休止に入り、対策を練ることもできる。
40歳を目前にして予兆を感じ取ったとき、僕は幸運にも後者を選択した。その結果、約10年、テレビの世界から離れることになった。
ただ、僕らの仕事は出なくなった途端に「あの人は今?」的な扱いを受けるようになる。毎日のようにテレビで顔を見た人がいなくなる=「落ちぶれた」と思われるわけだ。
本人が楽しく本気で遊んでいても、「仕事がないから遊んでいる」「気を紛らわせるために遊んでいる」と見られ、ジムの経営を始めると「芸能界の仕事がなくなったからだ」と言われる。これは正直、おもしろくない。
しかも、芸能界から離れた先輩たちの中には、そうやって周りから「落ちぶれた」目線で見られているうちに、本人も落ちぶれた感を漂わせるようになってしまった人もいた。たまにくるテレビの仕事にしがみつき、「いい番組がなくて」「自分に合う企画がなくて」と誰ともなく言い訳しつつ、小さなプライドを守り、次のステップを踏み出すことなく落ちぶれた感のなかに埋まっていってしまう。


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