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結果はまだ出ていない。しかし結果を出し続けてきた人生
須永さんが会社を辞めて「エジプトめしコシャリ屋さん」を開業したのは、2016年3月。オープン時に作成した中期経営計画とは毎日にらめっこしている。
「でも、こと売り上げだけに限定するなら、まだまだまったく届いていないですね」。
青写真では開店3年目にはすでに実店舗を持ち、それをベースに複数のキッチンカーを運用しているつもりだった。
起業前に設定していた計画ではそうなっていた。プランとリアルの間にギャップが生じた最大の要因は、「知らない食べ物は、なかなか食べてもらえない」ということ。

「1日200食ぐらい普通に売れると思ってたんですね。それで、売り上げが10〜15万ぐらいいくかと。でも実際には、現場によっては1〜2万ということもザラで」。
ズレの最大の要因は、「そもそもコシャリを誰も知らない」ということなのであった。
「うちの店のファンの方に聞いたんですけど、例えばフランスとかイタリアっていうと、それだけで“おいしい”っていうイメージに結びつくんですよ。でもエジプトって言ったときに“おいしい”ってイメージはないですよね? 」。
同じ場所に出店しているのが、ジャンバラヤに南インド料理、タイ料理、ローストチキン、タコライス。訪れる者たちにとって、コシャリやエジプトがお馴染みかと言うと、完全にマイナスからのスタートなのであった。
「僕、子供の頃から天の邪鬼だったんですよ。“オマエは逆子やったからそんな『さからい』になったんや!”っていっつも親に言われてました(笑)」。
「さからい」というのは、人から言われた通りにしない人の性質。
確かにそうなのかもしれないが、須永さん、自身を「飽きっぽい」と言う。
つねに新しいことをやりたいと思ってしまうのだ。続けてきたことを続けていくことだけに価値を求めなかった。“せっかくやってきたのだから”ではなく“今、自分が何をやりたいか”を大事にしてきたのだろう。
何かしら習い事としてスポーツに親しんできた子供だったが、小学生の頃は体操、中学ではテニス部に入り、高校は野球部、大学ではアメリカンフットボール部に所属した。
打ち込む対象はその都度気分で軽快に変えながら、どうやらきちんと結果を出し続けてきた模様。
たかが部活かもしれない。だが、もしかしたら「今、自分が何をやりたいか」を追求することが、今の仕事につながっているのかも。
須永さん、中学から私立大学の付属へ進む。つまり、よほどのことがない限り、大学までの道はゆるぎなくなったということだ。些細なことだが、“下”から同じ部活を続けていくほうが居心地はいいに決まっている。
だが、中学でテニス部だったにもかかわらず、高校では野球部に入った。本格的な野球経験はなかった。それでもキャプテンに選ばれることになる。このあたり、間違いなく「コシャリ屋さん」につながっているのだ。
 
【Profile】
須永 司さん
1983年生まれ。同志社大学卒業後、電子部品メーカーに勤務。2016年に「エジプトめし コシャリ屋さん」を開業。キッチンカー1台からコシャリの日本への定着を目論む。
 
稲田 平=撮影 武田篤典=取材・文


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