OCEANS

SHARE

DIYハイエースで全国を巡るDJに

毎月決まった仕事がある訳ではなく、今後の収入の保証もないDJだけで生きていく。それは一見、無謀すぎるチャレンジに感じる。しかし、話を聞いていくと、河合さんはそのお茶目な人柄と行動力によって、周囲の協力を自然に仰げる魅力を持っていた。それは、現在、全国を共に旅するハイエースが、さまざまな人の協力を得て完成したというエピソードからも伺える。
「DJとして生きていくなら、いろいろなイベントを回るためにも絶対クルマは必要だなと思って、ちょうどクルマを探していたんです。そうしたら運良く、ハイエースを譲ってくれるという人が現れたので、飛びつきました」。
幸運にもクルマを譲り受け、各地のキャンプイベントを巡るうちに、車中泊に目覚めていったという河合さん。車中泊への熱い想いが募り、持ち前の行動力を発揮する。
「車中泊が大好きなので、何か一緒にやらせてください! と、車中泊の専門誌『カーネル』に自分で企画を持っていきました。それが無事通って、『河合桂馬のDIY VANLIFE』っていう連載を持たせてもらえたんです」。
毎回、連載の中で講師の協力のもと、ハイエースの改造を重ねた。おかげですっかり快適な車中泊を実現できるマイカーが完成したというわけだ。
「自分のやりたいことや好きなことで、お金が貰える流れに自然となっていく運の良さには自信があります」。
そう言ってにやりと笑う河合さん。その大胆な行動と感謝の気持ちが、自然と協力者を引き寄せるのだろう。とはいえ独立当初はフリーのDJとして働くことに、少なからず不安も感じていたという。
「正直言えば、はじめは毎日不安でしたね。今は毎日楽しいので、不安に意識を向けるよりも、いただいた仕事に全力を尽くすことで、また新たな道が開かれていくと信じてやっています」。
年月とともに、DJの在り方も変わってきた。DJを始めた16年前はレコードを回すのが当たり前だったけれど、最近はスマホやパソコン1つでDJをすることもできる。時代の変化のおかげで車中泊をしながら、長年の夢だったDJの仕事ができている。そして、会社員時代という遠回りがあったからこそ、今こうして「好き」を仕事にできていると河合さんは言う。
「もし大学を卒業した勢いでDJになっていたら、なんの社会性もないし、常識も礼儀も知らなかった。今のように取引先とやり取りしたり、ギャラ交渉やスケジュール管理も、スムーズにできなかったはずです」。
回り道したぶんだけ、自信もついたし、助けてくれる人も増えた。好きを突き詰めるのに年齢は関係ないのだ。そんな河合さんの今後の夢はなんだろう。
「海外に移住して、DJやりたいですね。自分が一番好きな、ハウスミュージックのシーンが成熟しているヨーロッパでプレイしたい。例えば、スペインのイビサとかね。そういうところでDJできたら最高ですよね」。
最後に、世界のトップDJのギャラは、一晩1000万クラスだと、こそっと教えてくれた。愛車のハイエースと共に、大きな夢に向かって、河合さんは走り出したばかりだ。
 
藤野ゆり(清談社)=取材・文
【関連リンク】
「KEIMAGAZINE」
http://keimakawai.com/


SHARE

次の記事を読み込んでいます。