40代で飛び込んだ専門学校と鍼灸の世界
40代にして再び無職になってしまった伊藤さん。そこで目指したのが、これまでの仕事と180度方向性の異なる「鍼灸師」だ。鍼灸師とは、国家資格である「はり師」と「きゅう師」を有する人のこと。全身360カ所以上も存在する経穴(けいけつ)と呼ばれる「ツボ」を刺激し、病気の予防や改善など自然治癒力を高める仕事だ。
「母親の影響で、鍼には興味があったんです。たぶん、もっと体でふれあうような本質的なコミュニケーションを求めていたんだと思います。上辺じゃない、本気の対話ができる仕事をしたかった」。
20代、30代、がむしゃらにIT業界で働きながら常につきまとったのは、目的が「お金」になってしまっていることの虚しさだった。「お金」を目的にしない仕事として、鍼灸師になる。そう決めてからは早かった。東京の専門学校に入学し、専門学生としての3年間が始まった。
「僕、高卒だし、当時まじめに授業も受けていなかったから、その頃のやり直しをしよう、ってすごく前向きにとらえていました。率先して授業の準備や校内誌の編集係をやって、学生生活を楽しみましたよ」。
とはいえ、授業は10時から15時までみっちり。実技以外にも、医学的な知識も求められる鍼灸師。授業後は2時間自主トレーニングの時間に当てるなど、楽しいことばかりではなかった。おまけに学費は3年間で4年制の私立大学に匹敵するほど。生徒のなかには脱サラ組や家族の介護のために手に職をつけたい人など、さまざまな事情や決意を持って入学した人ばかりだったという。
「1番キツかったのは、本気で勉強しても成績が一向に上がらなかったとき。年齢を重ねたせいか、頭が硬くなってしまっていて、なかなか素直に軌道修正できなかった」。
進級テストに受からなければ卒業できない専門学校。特に3年目は国家試験合格に向けて、猛勉強を重ねた。無事に鍼灸師の国家資格を取得した現在、伊藤さんはどんな目標を持っているのだろうか。
「いずれは鍼灸師だけの収入で生活ができるようになるのが夢。資格を取得して満足ではなくて、受かってからどう行動するかが大切だと思っています。道のりは長いけど自分のやりたいことを、やっと見つけられました」。
40代で学び直し、手に職をつける。一見、無謀なことのようにも思えるが、いくつになっても挑戦は遅くない。
「お客さんの悩みを解消できるのがうれしいんです」……以前はブランドもので身を固めていた伊藤さんが、すっかりカジュアルでラフな服装に身を包み、穏やかな笑顔を見せているのが、なによりその証拠だ。
藤野ゆり(清談社)=取材・文