「なるようにしかならない」ことに悩むのは無意味
しかし、この悩みは私には無駄に見えます。そんなものは「なるようにしかならない」からです。子供が生まれて育児をするようになったとき、配偶者がどれぐらい手伝ってくれるのか、保育所にちゃんと入れるのか、子供がどれぐらい育児の大変な子なのか(おとなしいとかやんちゃとか)、やってみないとわかりません。仕事も、リモートでできるような仕事を会社がアサインしてくれるのか、それは自分の望むキャリアパスを阻害するものではないのか、欲しい能力が身につくのか、やりがいを感じられる仕事なのか。
そんなことも、自分の会社からの評価やそのときの周囲の環境(自分の他にライバル社員がいるのか、自分しかいないのか等)、仕事そのものがそもそもあるのか、などによって変わります。不安に思うのも無理はありませんが、「不安です」という問いに対しては「不安だろうね」と、冷たいようですが、表面的な共感を示すことぐらいしかできません。上司として、本当に何もできないのですから。
「案ずるより、産むが易し」
ですから、私のお勧めは、日々無益に悩み、「エア決断疲れ」(想像上で決断を繰り返して〈実際にはしていない〉疲れてしまう)になってぐったりするのではなく、まさに「案ずるより産むが易し」で、さっさと産んで、育児をしなければならない状況にさせてしまうということです(と言いながら、出産はアンコントローラブルですが)。
「育児」と「仕事」を両立させるには大変な覚悟、やる気スイッチをONにすることが必要ですが、その「やる気」は脳の側坐核(そくざかく)で生じます。ところが、この側坐核はなかなか自分からは動いてくれず、動かさないと動かないようなのです。よく、ずっとやる気がでなかったことが、重い腰を上げてやり始めるとどんどんやる気が出てきて止まらなくなるという経験はありませんか。これを「作業興奮」と言います。これにより側坐核が活性化し、活動的になり、さらにやる気が生じるという良循環が生まれます。
変に助け舟を出すとチャンスを奪うことにも
私にも子供がいますが、両立がどうとか考えないうちに生まれ、仕事と育児とめちゃくちゃな負荷になりましたが、やらねばならないことはやらねばならず、やっているうちになんとかなりました(育児中に起業までしています)。やればできるのです。
最近の「働き方改革」的分脈でいくと違和感ある意見かもしれませんが、私は、若手が不安がるからといって、それをそのまま真に受けて、いろいろ配慮して仕事の負荷を減らしてあげる(育児の負荷は減らせませんので)のが本当に良いのかわからないと思います。
うまく仕事の負荷を減らしてあげられれば良いのですが、多くの場合、そこには重要な仕事やチャンスの多い仕事からの排除につながる可能性があります。不安に駆られている方にとっては、短期的には仕事の負担を軽くしてもらったことを感謝するかもしれませんが、後になって振り返って、それによって同期から出世が遅れたり、自分のなりたいものになれなかったりしたと感じたら、うらみに思うかもしれません。
ギリギリまでは放置してはどうか
もちろん、若手の様子をよく見て、本当に限界なら、手を差し伸べて負荷を減らしてあげるべきでしょう。しかし、そうでなければ、ギリギリまで注意深く見守ってあげるのがベストなのではないかと思います。
臨床心理学の大家であった故・河合隼雄先生がおっしゃっていた「そばにいて見守るが、全力で何もしない」ということです。まずいときにはすぐにサポートする準備をしておきながらも、ギリギリまでは何もしない。
そうすることで、若者は自分の持てるポテンシャルを最大限発揮して、不安と言いながら、なんとか自力で育児と仕事の両立を乗り越えていきます。人は、もうダメかもと思うレベルの目標を乗り越えることによって成長するといいます。仕事と育児の両立という問題についても、同じことが言えるのではないでしょうか。
曽和利光=文株式会社 人材研究所(Talented People Laboratory Inc.)代表取締役社長
1995年 京都大学教育学部心理学科卒業後、株式会社リクルートに入社し人事部に配属。以後人事コンサルタント、人事部採用グループゼネラルマネジャーなどを経験。その後ライフネット生命保険株式会社、株式会社オープンハウスの人事部門責任者を経て、2011年に同社を設立。組織人事コンサルティング、採用アウトソーシング、人材紹介・ヘッドハンティング、組織開発など、採用を中核に企業全体の組織運営におけるコンサルティング業務を行っている。