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ルート営業からバナナの叩き売り、そして大学院へ


大学卒業後、地元・九州で飲食関係のルート営業をしていた鎌田さん。しかし、人員の不足から激務が続き退職、しばらく家業を手伝うことにした。
家業とは、鎌田さんの父がオリジナルで製作した英語教材の通信販売だ。元々は英語を学びたいという母のために作った英語初心者のための教材。せっかくなのでと販売してみると思いのほかヒットした。
鎌田さんの父親の人生は、かなり興味深い。19歳で単身渡米し、ロスで働きながら英語の勉強をして、アメリカの大学に入学。さらに、在学中に放浪の旅に出て、ニューヨークからドイツ、スペイン、カナダ、エジプトなど各国を放浪したという。そして現地で質のいい手織り絨毯の買い付けに目をつけ、絨毯の輸入販売で成功を収めた。
そんな商才のある父の背中を見て育った鎌田少年は、幼い頃から自分も自営業で独立して働くんだという気持ちを持っていたという。しかし、実家で暮らした日々は、“父親の仕事を手伝っているだけ“という意識もあり、焦燥感がつきまとった。
「できる父親を持ったプレッシャーっていうのは少なからずあったと思います。自分は人生で何がしたいのか? 見えない時期がありました。そこで見つけたのが、自分を育ててくれた地元に恩返しのできる仕事がしたいという思いでした」。
鎌田さんの生まれ育った北九州市門司区には、バナナの叩き売りという伝統芸能がある。叩き売りの塾生募集の広告を見て、まずはここから始めようと思った。
「1年間講習を受けつつ、道でバナナの叩き売りをやりました。メンバーの中では売れるほうではあったのですが、そこで気づいたのは、人前で何か行うのは自分には向いていないってことでしたね(笑)」。
この間に、独学で日商簿記1級も取得。その後、26歳で大学院の会計研究科に入学する。唐突な気もするが、何かきっかけがあったのだろうか?
「母が59歳で大学に入学したんです。勉強が面白い、と毎日楽しそうでした。働きながら、母親、そして学生という三足のわらじを履いて充実した日々を送っている母の姿が、なにより奮起するきっかけでした」。
会計研究科に入学したのは簿記取得の経験から。自分は「会計に強い」という小さな手がかりをもとに、鎌田さんの大学院生活が始まった。


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