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一度は心が折れたことも。しかし、家づくりはやめられない


幼い頃から工作が好きで、専門学校では工業・工芸デザインを専攻していた瀧口さん。
「イエローシーダー(日本では米ヒバと呼ばれる木材種)のログ(丸太)を組み上げする際は、大工さんとクレーン重機に手伝ってもらって、屋根まで一気に掛けましたが、それ以外はコツコツとやるしかない。生活するためにもキッチン、トイレ、お風呂場だけは急いで用意しなきゃと必死でしたね、家族も一緒だったので。当初は庭に建てたプレハブ小屋に住んでいたのですが、ユニットバスが設置できてもプレハブと家が離れているうえ、ユニットバスはむき出しだから、素っ裸でお風呂場に向かうことに(笑)。お風呂上がりの星空の綺麗さは今でも覚えています。作業を始めておよそ1年後には、家族みんなで暮らせるぐらいにはなりました」。
玄関が設けられた日、2階へ続く立派な階段が完成した日、家中の柱のどこをとっても、歴史と記憶がある。家が作られていく過程のすべてが、思い出となる喜びがある。
しかし、たったひとりによる作業だ。仕事もしなければならず、作業はなかなか思うように進まなかった。現在もログハウスの内装部分は製作の真っ最中。2階へ上ると、真新しい木材と工具が並んでいた。


「最近は2階の吹き抜け周りの強化のために、頬杖(垂直材と水平材の中間につける補強材)を取り付けたり、庭に生えていた赤松を太鼓引きした渡り梁をかけています。あと天井の遮熱材を貼るのもこれからです」。
仕事の合間を縫って、ひたすら作り続ける。そんな年月が重なり、一度は心が折れてしまった。
「つくってもつくっても完成しない……。予定や計画を練っても思い通りに行かなくて苦しくなってしまったんです。庭いじりは好きで続けられたのですが、半年間、作業をやめてしまいました」。
しかし、それでも家を建てるのはやめられなかった。「ムズムズと建てたくなるんですよ」という瀧口さんは、計画を立てることが辛くなる原因だと気づき、マイペースに作業することを心がけた。また以前は朝から晩まで作業に没頭することも多かったが、最近は仕事の合間に板張り一枚でも進歩があればいいかなと考えているそうだ。


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