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恣意的な判断はアンフェアだと思う

2つ目は、適性検査の選考基準をいじった時に、新人が意見をしてきた事件です。最初に設定していた選考基準だと、応募者がどんどん落ちていってしまい、このままだと採用目標に達しないというシミュレーションが出たため、採用活動期間の途中から選考基準を緩めてもう少し合格を出すようにしました。その判断に不服のあった新人2人に私は呼び出され、小部屋で異議を申し立てられました。「不公平だと思います」と。
私は、「もちろん最初の方の厳しい基準で落ちた応募者には申し訳なく思うが、(公務員等は違って)企業には採用の自由があり、(差別的なものとかでなければ)どんな採用基準で採用をしたって問題はない。今回は、期中の変更ということで不公平を感じたのかもしれないが、そもそも毎年基準は変わっている。昨年よりも今年は景気がよく売り手市場なので採用基準は緩いなんてことはふつうにある。それも不公平だと思うか? 同じことじゃないのか?」と言いました。この件の是非はともかく、若者のよくある正義感を示していると思います。
 

「何事も公正なルールに基づいて」という潔癖さ

それは、「法治」ではなく「人治」だとアンフェアだと思うということです。ルールのない中で、権限を持っている人が勝手にいろいろ判断すること自体に嫌悪感を抱くようです。似たような例を挙げると、何かを発注する際に広くあまねく公募して、入札を受け入れて、あらかじめ定められた基準に基づいて発注先を決めないと、アンフェアに思う人が多い。
無論、そこからリベートなどをもらっていたりすれば、仲間や経営、株主に対する裏切りであり、違法です。また、上場会社は公共性が高いため、公共事業に近いレベルのフェアさ(?)が求められることもよくあります。しかし、基本的には、公共事業であれば大きい案件の随意契約は問題でも、民間企業が信頼できる知人の会社に入札なしに指名で発注してもあまり問題はありません。
しかし、若者は、あまりいい気はしないようです。ほかにも、先輩後輩のネットワークで採用活動をすることに不公平感を持ったり、上司に気に入られた人が早い昇進をすることにも(好印象をもたらしたことが、正当な成果によるものであっても)ブラックな感情を持ったりします。若者は「人治国家」は嫌なのです。


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