職場の20代がわからないVol.9
30代~40代のビジネスパーソンは「個を活かしつつ、組織を強くする」というマネジメント課題に直面している。ときに先輩から梯子を外され、ときに同僚から出し抜かれ、ときに経営陣の方針に戸惑わされる。しかし、最も自分の力不足を感じるのは、「後輩の育成」ではないでしょうか。20代の会社の若造に「もう辞めます」「やる気がでません」「僕らの世代とは違うんで」と言われてしまったときに、あなたならどうしますか。ものわかりのいい上司になりたいのに、なれない。そんなジレンマを解消するために、人材と組織のプロフェッショナルである曽和利光氏から「40代が20代と付き合うときの心得」を教えてもらいます。
「職場の20代がわからない」を最初から読む 昔ならば「使命感」や「責任感」が理由だと、答えておけばよかった
今回のテーマは「使命」です。我々オッサン世代の若い頃を思い出すと、当時の上司や先輩達に仕事をしている理由を問えば、「使命感」「責任感」などという言葉が返ってきたように思います。「使命」とは、「使者として命ぜられた任務」のことを言います。
対応する英語のmission(ミッション)も、ラテン語のmittere(ミッテレ。遠くに伝道する)から派生した言葉で、「使命」と由来もよく似ています。「使命」も「ミッション」も、誰から命ぜられたかは神や天、社会や会社などいろいろありますが、どれも外部から自分へ期待されたことです。
ベースには「誰かの期待に応えるため」といった利他的な考えがある
つまり、我々オッサン世代以上の人間にとっては、働く理由とは「誰かが自分にそれを期待してくれたから、それに応えたい」ということでした。中国の故事の言葉にも「士は己を知る者のために死す」というものがありますが、そんな気分でしょうか。期待をかけてくれるということは、自分の価値を認めてくれるということであり、それに応えるのが仕事人というものだと。
そういえば、「働くとは傍(はた)を楽にすることである」というようなオヤジギャグ的訓示もよくありましたが、これも同根で、以上はすべて「働く理由は誰かのため」という利他的な考えがベースになっています。
最近は誰かではなく、自分にとっての「モチベーション=動機」を重視
ところが最近では仕事をする理由で、motivation(動機)という言葉の方がよく使われるように思います。動機には、「内発的動機」と「外発的動機」があり、前者は、対象の持つ面白さや重要さなどから自然にやる気が出てくるという動機、後者は何かをすると何かをもらえる(インセンティブと呼ばれたりします)ことでやる気が出てくるという動機です。
いずれにしても、「動機」とは「自分にとってのやる意味があるかどうか」「自分に対するどういう報酬によってやる気が出るのか」ということであり、上述の利他的な「使命感」という言葉と違って、(別に悪いことだと言いたいわけでは決してありませんが)相対的には利己的な匂いのする言葉です。
「利他的なオッサン」と「利己的な若者」の単純な構図で考えてはいけない
もちろん「使命感」も「使命を授けてくれた人に認めて欲しい」という承認欲求ではないかと言ってしまえば、motivationのひとつ(特に外発的動機)だと言ってもよいかもしれません。しかし、言葉の使われ方を見ると、坂本龍馬の有名な句、「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」というのが使命感で仕事をする気分であり、誰かの期待に応えると言っても、別に褒めて欲しいわけではない。
悪く言えば、ある種勝手な自己満足、良く言えば、誰からも見返りを求めない自己犠牲的な感じがします。やはり、「使命」=「利他的」、「動機」=「利己的」な印象は否めません。では、最近の20代、若者たちは利己的になったが故に、本稿のタイトルのような疑問を発するようになってしまったのでしょうか。そんな単純な問題ではないと、私は思います。
「その使命感は誰得なんですか?」と、若者に聞かれていると考えると……
若者達は使命感に燃えるオッサンたちに対して、「それは誰からの使命なんですか?」「本当に誰か期待をかけてくれているんですか?」「誰がそれで得をするんですか?(誰得)」と聞いているのです。オッサン世代が、社会や世の中に対して、誰も文句のつけようもない明確な価値を提供できていれば、若者も「使命感」とやらに目覚めるかもしれません。
しかし実際には、社会正義のような面をして個人のプライバシーを暴いたり、自分の実績を作るために後世に負債を残すような施策を平気で行なったり、大義名分を掲げて実際には機能しない誰得ルールを作ったりしているわけです。オッサンたちが「利他的な使命感」と言いながら利己的な行動に走っているのを、若者は気づいて疑問を呈しているように思えてなりません。
若者は自分の「使命」がまだわからない。だからこそ「使命感」に飢えている
昔の維新の志士のような人々が、本当の意味での「使命感」に燃えて、自己犠牲を厭わずに、国や世の中の人々のために働いたということに異論はありません。私も憧れますし、そんな生き方をしたいものだと思います。ところが、今、本当の「使命感」を持って、仕事をしているオッサンたちはどれだけいるでしょうか。
一方で多くの若者は、まだ自分の「使命」がわからず、「使命感」に飢えています。採用や育成のシーンでも、最近の若者のほうがよっぽど社会的価値を大事にしている人が多い。それが証拠に社会起業家のような「使命」を見つけた若者たちは、オッサンたちを尻目に、立派な働きをしています。しかし、彼らは自分を偽ったりしません。「使命感」を持てないなら、何らか「動機」を得なければ、大変な仕事を続けることなどできないという正直な気持ちを吐露しているだけです。
「使命感」を持ちにくい時代だから、正直に生きる姿を見せてしまえばいい
我々オッサン世代も、少し前の先人たちに憧れるのはいいのですが、だからと言って、「俺は使命感で仕事をしている」などと嘯(うそぶ)く必要はないのです。今の社会は昔よりも複雑で価値観も多様化しており、誰にとってもそう思える何か明確な悪があるわけでも、敵がいるわけでもなく、「使命感」の持ちにくい時代です。
「俺だって、何のためにやっているのかわからない」「とりあえずどうせやるならこんな風に楽しもうと思っている」「こうしたら自分にとって得かなと思っている」――そんな風に若者達に向かって、正直に言ってしまえば良いのです。そのほうが、おそらく若者たちからも不審がられず、むしろ共感を持ってもらえるのではないでしょうか。
文/曽和利光 株式会社 人材研究所(Talented People Laboratory Inc.)代表取締役社長 1995年 京都大学教育学部心理学科卒業後、株式会社リクルートに入社し人事部に配属。以後人事コンサルタント、人事部採用グループゼネラルマネジャーなどを経験。その後ライフネット生命保険株式会社、株式会社オープンハウスの人事部門責任者を経て、2011年に同社を設立。組織人事コンサルティング、採用アウトソーシング、人材紹介・ヘッドハンティング、組織開発など、採用を中核に企業全体の組織運営におけるコンサルティング業務を行っている。