Q4. 秀吉の「接待」「接遇」にはどのような特徴がありますか?
基本的に「過剰な演出」を好みました。
秀吉は「接待」や「接遇」の際、一般とは大きく異なり、しばしば手間や費用を度外視する「派手さ」で相手を圧倒しました。さらに、彼のすごいところは、その「接待」「接遇」の結果から生じる波及効果も見据えていて、最終的に「本来の目的+αの大成果」を得てしまうことです。
では、そうした具体例をいくつか挙げてみましょう。
信長に比肩する一大パフォーマンス
【接待1】1500もの茶屋で身分・国籍を問わずおもてなし ~北野大茶会~天正15(1587)年10月、西日本を平定して関白・太政大臣に就任した秀吉は、京都の北野天満宮(京都市上京区)で大規模な茶会、北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)を開催しました。
通常の茶会は小さな茶室を使い少人数で行われますが、「大茶湯」をうたう秀吉は、北野天満宮が所有する広大な敷地すべてを会場に、10日間にわたり茶会を一斉に開くという、前代未聞の試みに挑んだのです(実際には1日で中止)。
この茶会では、茶湯愛好者ならば身分・国籍を問わず参加が許され、秀吉をはじめ著名な茶人による「お手前」のサービスのほか、秀吉自慢の名品コレクションや、臨時移設された「黄金の茶室」の展示も行われました。
茶屋は野点(のだて/野外での茶会)が中心で、その数は800とも1500から1600ともいわれ、かつて織田信長が京都で行った軍事パレード「御馬揃(おうまぞろえ)」に匹敵する盛大さだったと記録されています。
北野大茶湯は大きく世間の話題になり、これによって京都の朝廷や民衆は、「秀吉が天下人」であることを強く認識するようになりました。
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