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2018.03.08

ファッション

日本人がはきやすいデニムを作ったエドウインが見据える「デニムの未来」

言わずもがな、エドウインは日本を代表するデニムブランドである。上野・アメ横で米軍払い下げのデニム卸からスタートし、日本のファッションにデニムを根付かせるための試行錯誤を重ねてきた。昨年創業70周年を迎えたこのブランドが目指すデニムの未来について。
エドウインとは?
誰もが知るといっても過言ではない日本のデニムブランド。前身の「常見米八商店」は1947年に創業。米軍の払い下げ衣料をアメ横で卸していた。のちに中古デニムの輸入を行う。’61年にエドウインを立ち上げ、自社デニム製作を開始。’80年代には国内のデニム売り上げ1位を達成した。’97年に登場した「503」がフラッグシップモデル。現在では世界21カ国881店舗で製品を展開している。

「完璧を超えてトライし続けなければなりません」

プランニング&プロダクトマネージャー 佐々木健太氏。1975年、北海道生まれ。’99年の入社以来、一貫して企画生産課に籍を置くデニム作りのエキスパートである。入社当時に発売された「505」や「503」に携わったのち、レディスブランド「サムシング」も経験。2008年よりメンズのみの担当となり、その後現職に。メンズ全体を統括し、グローバル部門の製品「Eスタンダード」を手掛けた実績も持つ。2人の男の子の父としてプライベートも多忙。奥さまとの休日テニスが息抜きになっているとか。
オーシャンズ世代には、ブラッド・ピットが歌う「503」のメロディが耳に残っているかもしれない。エドウイン。あまりに身近なデニムブランドだけに、その歴史を僕らは意外に知らない。改めてヒストリーに迫るべく、東京・東日暮里のエドウイン本社に、プロダクトマネージャーの佐々木健太氏を訪ねた。
「創業当初扱っていたのは中古のデニムでしたが、徐々にアメリカから新品も入ってきました。当時のデニムは硬くて、縮んで、色落ちする。今では当たり前のことですが、当時の人たちには理解できないことでした。創業者はまず、デニムを日常服として選んでもらうために“洗って縮める”作業を行ってから販売していたんです」。
当時のデニムは高額だったこともあり、なかなか一般的に受け入れられなかった。だが1961年、「日本人がはきやすいデニムを作る」ことを目標に、エドウインをスタートさせる。
「社名もエドウインに変えて、自社製品を作り始めました。アメリカから輸入したデニム生地を使って国内で縫製。’63年には“359BF”という品番のセルビッジデニムを発売しました。硬さ、縮み、色落ちを解消するためにウォッシュ加工を施したジーンズ。エドウインの原点です」。
言葉で言えば簡単だが、自社製品を作るには多くの困難があったという。
「デニムが一般に普及していなかったので、国内で生地を紡績、縫製してくれるメーカーも少なかったのです。生産を断られることもしばしば。それでも、情熱に応えてくれるメーカーと根気強くデニム作りを進めていきました。現在では自社工場(※1)も構えています」。
’70年代に入ると潮目が変わり始める。
ファッションとしてデニムが流行し始めたのだ。エドウインも’75年に「オールドウォッシュ」を発売。今で言うヴィンテージ加工のデニムである。そして’80年、石による加工デニム「ストーンウォッシュ(※2)」を完成させる。
「反響が大きかったのは意外にもヨーロッパでした。’81年に開催されたドイツの展示会“ケルンメッセ”で注目を集め、翌’82年にはストーンウォッシュを施した“ロンドンスリム”を欧米で発売。実は、エドウインの名は海外でひと足先に広まっていたんです」。
日本でも勢いが出始め、’83年には国内のデニム売り上げナンバーワンを達成し、誰もが認めるトップブランドに。そして’97年、「503」が登場する。
「’90年代のデニム市場は混沌としていました。いわば“何でもあり”の状態。改めてスタンダートといえるデニムを作ろうと“503”を発売しました。きれいなワンウォッシュ、きれいなシルエットの直球ど真ん中のデニム。ブランドの顔を作りたかったのです」。
ではこれから先、ブランドはどのようなデニムを作っていくのだろうか。
「根底にあるのは、“みんなのエドウイン”だということ。どんなニーズにも応えていく、というのが基本姿勢です。そして決して妥協しないこと。社是の“ビヨンド・パーフェクション”がその表れです。完璧の先を目指して、トライし続けなければなりません」。
自社工場(※1)
現在は秋田と青森に縫製工場を、秋田にウォッシュ加工などを行うランドリーを保有している。1973年から続く秋田の縫製工場には、親子3代にわたって働いている社員もいるという。
ストーンウォッシュ(※2)
バリ(加工面に生じる不要な突起)取りなどの金属加工技術から着想を得て開発。石選びや洗い方の強弱など試行錯誤を重ねてきた。軽石を探しに鹿児島・桜島まで訪れたというエピソードも。
髙村将司=文


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