フラワーカンパニーズの活動は順調で、半年後には東海地方で名門といわれるライブハウス・名古屋Electric Lady Land(通称E.L.L.)に月イチでブッキングされるようになる。当時アマチュアバンドがライブハウスに出演するためには、そこにデモ音源を送って合格する必要があったが、この関門を一発でクリア。翌年夏には若手バンドのイベント「TOYOTA YOUNG MUSIC FESTIVAL」で優勝し、ソニーの新人発掘部署の人から声をかけられるようにもなった。ソニーといえばメジャーレーベルを複数持つ企業。メジャーデビューが現実的な目標として見えてくる位置に来ていた。 しかし、当時のマエカワさんはプロを目指す気がなかったという。 「食べていける感覚がまったくなかったですね。プロで売れるまでフリーターで頑張るとかそういうタイプでもなかったですし、大学で経営学部を選んだのも将来潰しが利きそうと思ってのことでしたし。人としゃべることが好きだから、将来は営業の仕事をやるのかな~なんて思っていました。 鈴木は当初からプロになりたいと言っていたけど、小西もそんな感じじゃなかったし、竹安もたぶん何も考えてなかったんじゃないかと思いますね」