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2017.08.23

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オバマの来店も断った「天ぷら職人」の哲学。ミシュラン常連料理人の仕事論

当記事は、「東洋経済ONLINE」の提供記事です。元記事はこちらから。
ミシュラン常連、銀座「てんぷら 近藤」のシェフ、近藤文夫氏(写真: 清水知成)
池波正太郎や土門拳が愛した山の上ホテルの元料理長であり、現在はミシュラン常連の銀座「天ぷら近藤」の店主・近藤文夫氏は、料理界きってのイノベーターだ。
厚さ7cmのサツマイモ、衣はパリッと中はみずみずしく揚がった太いアスパラガス……かつて江戸前の天ぷらは魚介が中心で野菜は邪道とされていたが、試行錯誤して野菜の天ぷらを開発したのが近藤氏。いまや世界中にファンがいる同店は、当時来日中のオバマ大統領を断ったという逸話でも知られている。そんな一流の職人の哲学は、まさに一流のビジネスマンと共通するマインドセットから生まれていた――。

「先輩のいない職場」で技術を磨くには?

私が料理人になったのは「料理人になれば食いっぱぐれることはないだろう」と考えたから。商業高校を卒業して山の上ホテルの面接で、「お前は和食の顔だ」と言われて、「てんぷらと和食 山の上」に配属されて、入社半年くらいで、たまたま天ぷらを担当したところから始まりました。
当時は天ぷら職人の先輩が独立してしまって、先輩がいなかったので、私の天ぷらは独学。なけなしの給料で料理の本を買い集めては、技術を身に付けました。
でも、上からとやかく言われずアイデアを自由に試せたのはよかったんですよね。だから、私の師匠はお客さんです。
「山の上」は、池波正太郎先生や土門拳さんといった文化人も常連客に多く、舌の肥えたお客さんがたくさんいらっしゃいました。また、そうした方々だけでなく、料理人になったからにはすべてのお客様を喜ばせる責任がある。それは新人時代からわかっていたので、とにかくお客さんの反応はよく見るようにしていました。
私は昔とんでもなく無口でね、コミュニケーションも苦手だったんですが、お客様に居心地いいと感じてもらうためには会話くらいできないとダメだな、と勉強しました。


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