37.5歳の人生スナップ Vol.108
2020.02.17
LIFE STYLE

36歳で亡くなった父。その年齢を超えて、小説家・平野啓一郎が思うこと

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平野啓一郎

「僕は子供のときから、『36歳』っていう年齢を強く意識していたんです」。

デビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞。それから20年経った今もなお、『マチネの終わりに』や『ある男』など、さまざまな作品で文壇から高い評価を受け続ける小説家、平野啓一郎さん、44歳。

そんな平野さんが「36」という数字を意識したのは、父親の死が大きく関係している。

「父親が36歳で亡くなったんです。僕がまだ1歳のときでした。親を早くに亡くしている人は多くがそうじゃないかと思うんですが、父の年齢を自分は超えられるのか、という合理的ではない不安が、幼い頃から拭えなかった」。

父親が亡くなった年齢にどこか縛られ続けた20〜30代。その年齢を超え、父よりも“年上”となった今、平野さんは何を思うのか。その人生に迫った。

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23歳、デビュー作がいきなり芥川賞を受賞

平野啓一郎

「幼少期は本を読むより野球やサッカーをして、外で遊ぶほうが好きでしたね。また音楽も好きで、友人とバンドを組んでいました」。

平野さんの音楽への愛情は深い。取材中もヒップホップやR&Bに話が及ぶと声が弾んだ。最近はNetflixのドキュメンタリー番組「ヒップホップエボリューション」にハマっているという。小説を読み始めたのは14歳の頃。三島由紀夫の『金閣寺』に深い感銘を受けた。

「もちろん、当時はまだ小説家になりたいなんて思ってもいませんでした。東京にいると本を出すというのは比較的近い現実ですが、僕は福岡に住んでいたから、出版社とか作家っていうのは何かすごく遠い存在だった」。

いわゆる“ロスジェネ”と呼ばれる世代。大学生になった平野さんは、バブル景気の狂乱とその後の暴落を冷めた目で眺めつつ、小説を書き始めた。

「当時は東京には絶対出たくないと思っていました。僕が中学、高校時代にバブル絶頂期を迎えて、メディア越しに伝わってくる東京の光景は馬鹿げて見えた。こんな大人と心底思ってました。まあ、今にして思えばそれもテレビに作られたイメージだったかもしれません。今こうやって住んでみると東京も悪くないなって思うんですけどね(笑)」。

京大へ進学後、在学中に投稿したデビュー作『日蝕』で、いきなり芥川賞を受賞。当時最年少となる23歳、さらには現役大学生ということもあり、一気に文壇の脚光をあびる存在となった。「三島由紀夫の再来」と呼ばれるセンセーショナルな作家デビューだった。

「別に僕が三島に影響を受けた話をしたわけでもないんですよ。最初に僕の原稿を気に入ってくれた新潮社の編集長がそう感じたんです。三島の名を出されて自尊心を満たされることもあったけど、さすがに戸惑いも大きかったですね。ただ大学でもどこかの企業で働くってことをおぼろげにしかイメージできていなかったから、受賞して小説家として生きようという気持ちが固まっていきました。賞というのは社会的な意味がすごくあるんですね。母も安心したみたいだったし」。

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よき編集者との出会いが作家人生を支えてくれた

平野啓一郎

普通の大学生から一転、突如スポットライトを浴びることとなった平野さん。今のようにインターネットは発達していなかったが、激しいバッシングにも遭い、傷つくこともあったという。それでもペースを乱すことなく、京都で淡々と執筆を続けた。その影には、良き理解者としての編集者の存在があった。

「この世界に入ってすぐに信頼できる編集者と出会えたことは、僕にとって非常にラッキーでした。最初に可能性を認めてくれた当時の雑誌の編集長や書籍の担当者の存在がやはり大きかったですね。中長期的な小説家としての計画を最初にしっかり話し合えた。真剣に文学の話や将来の話ができる大人に巡り会えたという気がしました」。

年齢は10歳上だというその書籍担当者は、現『新潮』編集長の矢野優氏。今でも深い繋がりを持ち続けている。

「彼も僕と同じ京大卒で、仕事を超えた友人のようなところもあります。20年間、それぞれにこの業界を見てきましたから」。

デビュー作は40万部の大ヒット作となった。若くして芥川賞受賞。一気に文壇の注目を集める存在となり、プレッシャーは感じなかったのだろうか?

「もともと新人作家としては、非常にラッキーでしたので、それを維持しないとというプレッシャーは感じませんでしたね。次も同じくらい売れないと、とは僕も含めて誰も思ってませんでしたし。創作そのものはもちろん苦しかったけど、それは今も変わらないから」。

平野啓一郎

その後に発表した「葬送 第一部・第二部」は3年かけて書き上げた大作だ。

「当時は1日14〜15時間、執筆していたので、家にこもりきり。万歩計をつけてみたら1日246歩しか歩いていなかった(笑)。もう今は家族もいるし、あんな働き方はできないですね。若いからできたことだなあと思う」。

年齢、そして生活の変化は平野さんの働き方や作品にも大きく関係しているようだ。そして徐々に子供の頃から意識してきた「36歳」という年齢が近づいてきていた。父の年齢を超えるとき、平野さんはどんな思いを抱いていたのか。それについては、後編で。

後編はこちら

藤野ゆり=取材・文 小島マサヒロ=写真

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