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2020.02.17

ライフ

小説家・平野啓一郎が思う、37.5歳からの人生観「年齢を重ねても、オープンで居続けられる努力を」

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平野啓一郎
23歳のとき、デビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞。その後も『マチネの終わりに』、『ある男』など純文学の分野で高い評価を受け続ける作家、平野啓一郎さん(44)。
平野啓一郎
『マチネの終わりに』(文春文庫)。
平野啓一郎
『ある男』(文藝春秋)。
父が亡くなった36歳という年齢を幼少期から意識し続けていたという平野さん。その年齢を迎える少し前に、妻となるモデルの春香さんとの運命的な出会いがあった。
「普段、パーティーとかあまり行かないんですが、たまたま縁あって呼ばれたルイ・ヴィトンのパーティーで彼女と知り合ったんです。32歳で結婚しました」。
そして、ちょうど36歳になったその年に、第一子が誕生。その2年後には第二子が産まれた。「36」という数字は平野さんの人生において、何か大きな象徴なのかもしれない。それは36歳で書き始めたという小説にも昇華されていた。
「彼の父、土屋保が死んだのは、三十六歳の時だった。彼はそのために、昔からこの三十六歳という年齢を、自分の未来を照らす暗い星のように仰ぎ見ていた。いつかは自分も、その歳を迎えることになる。それがまさしく、今年だということに、彼は先ほど、問診票の年齢欄を前にして初めて気がつき、愕然としていた。今この隣に、死んだ時の父が並んで座っていたならば、その父は、自分と同い年なのだった。(中略)どんな言葉を交わすのだろう? 普通に同い年の男と話すように喋って、会話は弾むのだろうか?」
(『空白を満たしなさい』/講談社より)
「36歳を迎えて、父の年齢に並んだ2011年は、東日本大震災があって多くの方が亡くなった年。その一方で最初の子供が生まれた。3つの大きな出来事の中で死生観や人生について考えた年でした。自分はどこか親の年齢より長生きできないんじゃないかという不安。子供が親より年上になるっていうことをうまくイメージできないせいだと思うんですが、そういったずっと抱えていた気持ちに正面から向き合った1年間だった」。


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