2019.05.13
LIFE STYLE

300m四方に31店が出店。寂れた「空き家地帯」を激減させた大阪人の意地

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大阪市城東区蒲生4丁目(通称がもよん)のがもよんにぎわいプロジェクトを牽引する和田欣也氏
大阪市城東区蒲生4丁目(通称がもよん)のがもよんにぎわいプロジェクトを牽引する和田欣也氏。公的な補助金は一切もらわず、民間の力だけで町を変えてきた(筆者撮影)

古民家を利用した飲食店やホテルが人気を呼んでいる。だが、たいていの場合、古民家は点として存在しているだけ。ところが大阪市城東区の蒲生4丁目では再生された古民家が面として密集、空き家だらけだった下町が新たな名所となっている。

大阪城の東に位置する城東区のほぼ中央にある蒲生4丁目(通称がもよん)は旧街道沿い、空襲に遭わなかったため、築100年以上はざらな古い住宅が残る人口密集地帯である。といっても風格ある大きな住宅はさほど多くはなく、大半はごく普通の一戸建てや長屋。路地やそれほど幅のない道路に面して木造家屋が並ぶ街並みは、東京でいえば墨田区や足立区、中野区などの、いわゆる木密地域に似た雰囲気がある。

「蔵をイタリアンに」へ猛反発

大阪市は空き家率、空き家戸数ともに政令指定都市の中では日本一だが、そのうちでも空き家が多いのは、戦災で焼けなかった古い木造住宅が残る地域とワンルームの多い地域。がもよんは当然前者で、10年前までは空き家だらけの寂れた地域だった。

それが変わり始めたのは2008年。築120年の米蔵が再生されて以降である。所有者である父親から活用を任された息子は当初、そば屋にするつもりで3年間、テナントを募集していたが、反応はゼロ。悩んでいたところにデザイン性の高い、長屋の耐震リフォームを手掛けて話題になっていた和田欣也氏と知り合う。

和田氏が手掛ける建物のひとつ。外観だけ見ると空き家になっているようだが、耐震・断熱改修がされており、住戸間の仕切りを取っ払った広い空間には環境に配慮したプロダクトデザインの会社proefがオフィス、工房を構えている(筆者撮影)

蔵だから和風の商売というのでは面白くないと和田氏が提案したのはイタリアン。ところが周囲は大反対だった。「ジャージを着た兄ちゃんがつっかけサンダルで歩いている、飲食店に予約を取る習慣がない町でそんな店が成功するわけがない」というのである。

ことに反対したのは所有者だ。古いモノには価値があると考える息子とは異なり、「古い建物なぞさっさと潰して駐車場にするなり、マンションにするなりしたら簡単だろう。大体、和田とは何者だ?」と言い出したのである。

だが、提案した以上、引くに引けない。和田氏は失敗したらギャラはいらん、儲かってからくれと大見栄を切った。所有者の息子も失敗したら2年間は給料不要と同調してくれた。

「そこまで言うなら」と始まったイタリアンレストランは、蔵を改修した、当時としては珍しい店の作りと和田氏が見つけてきたシェフの腕前などから人気店となり、それが呼び水となってこの10余年で蒲生4丁目駅周辺の300m四方には飲食を中心に31店舗が出店。市の観光案内にも登場するまでになった。

最初に手掛けた、米蔵を利用したイタリアンレストラン「リストランテ イル コンティヌオ」。天井が低かったため、地面を掘り下げてバランスをとった(筆者撮影)
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飲食店チェーンであれば短期に多店舗展開は可能だろうが、和田氏は今でこそ古民家再生と地域活性を仕事としているが、もともとは耐震改修が本業。しかも、支援してくれる人たちはいても、ほぼ1人でやっているようなもの。なぜ、ここまで成功できたのか。

いくつか要因がある。1つは学生時代から今に至るまで長年かけて培ってきた人脈とそれを大事にする気持ちである。商売人だった和田氏の父親の教えは「40歳までは貯金をするな、友達の誘いを断るな、自分のために友人を作れ」。

がもよんで撤退した店舗は1店もない

同志社香里中学校から高校、大学と進んだ和田氏はそれを実践した。学内のみならず、7年在籍した大学時代には祇園のクラブや飲食店でアルバイト。飲食業界にも人脈を広げた。最初の店を作る際、和田氏は勤務していた会社を辞め、退路を断って臨んでいるのだが、その時期に生活を支えたのは当時の人脈だ。不動産所有者から頼まれたテナント募集を飲食店関係者に紹介して手数料などを得ていたのである。

がもよんでこの10余年に出店した店舗には1軒も撤退がないというが、それも人を大事にしてきた結果だ。普通、地域の飲食店同士はある意味ライバル。だが、がもよんでは仲間。仲間として互いの常連を共有するほうがつぶし合うより建設的という考えだ。

1階は昔ながらの対面の八百屋、2階は野菜中心の料理が売りの八百屋食堂まるも。ご近所の人を中心に女性ファンが多い(筆者撮影)

そのため、和田氏は新しい店舗を誘致する際には同業は避け、地域の人に欲しい店を聞くなどしている。週に1度店主が集まり、経営ノウハウ、悩みごとなどを共有、解決する場を主催しているのにも関係を深める意味がある。不動産会社であれば仲介すればそれでおしまいだが、和田氏はそこから関係が始まり、店がある限り、付き合い続けるというスタンスなのである。

テナント募集の広告を出さないのも紹介のほうが信頼できるという理由からだ。この町に店を出したいと思う人なら、やってきて町の様子をうかがうはず。そこで現在営業している飲食店主に相談をし、その店主がこの人だったらと思ったなら和田氏に連絡が行くはず。そのほうが広告経由の見も知らぬ人とやりとりするより確実というのである。

本格的なピザ窯が売りのピッツア店「スクオーレ」の店主と和田氏。がもよんではどこにいても、声を掛けられる存在だ(筆者撮影)

「町は人が作っているもの。人に人が集まります。その最たるものが飲食店。成功している飲食店は腕がいい、適正な価格は当たり前で、加えて店主の人柄がある。だから、店を出してくれるなら誰でもいいのではなく、いい人、よこしまじゃない人、長く付き合いたい人を選ぶのが大事。そうすれば人が集まります」。

店を作れば人が来るのではなく、惹きつける力のある人が店をやるから人が来る。箱を作りさえすれば町は活性化するだろうという、再開発などの箱もの優先の考え方とは真逆である。

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飲食を中心に据えたのも成功につながった。人脈があったからという理由もあるが、それ以外にも2つ理由があったと和田氏。当時、大阪ではすでに雑貨とカフェをてこにした中崎町、アートの空堀と空き家再生による町づくりには先駆事例があった。

だが、どちらもがもよんのテイストではなく、とくにアートだったら地元の人は一生に1つも買うことはないかもしれない。だが、レストランであれば一生に一度くらいは食べに行くだろう。だったら地元の人にも喜ばれる飲食店にしようと考えたのである。また、物販の場合は客が店に入ってきても売れないことは多々ある。ところが飲食の場合には来店=売り上げ。確実に稼げるのである。

最初にお金の話をするのが和田流

空き家所有者を口説くやり方にも、和田氏ならではのノウハウがある。先に借りたい人を見つけておき、それを伏せたまま、交渉に行くのである。そして最初にお金の話をする。

ボロボロな古民家を貸すために耐震補強、ガス、電気その他のライフラインを整備するのに300万円かかるとして、それを月10万円で貸したら3年でもとが取れる。4年目からは年間120万円、10年の契約だとすると720万円。はじめに300万円は必要だが、それが投資できたら10年で720万円になる。維持管理の手間がなくなり、子や孫、ご近所にも自慢できる店ができ、それでお金も入ると持っていくのである。

長屋を改装した割烹かもん。一見敷居の高そうな店構えだが、意外にお手頃な値段でレベルの高い和食が供される(筆者撮影)

このくだりを私は足立区で開かれた空き家活用のためのイベントで聞いた。参加者が「最初にお金の話をするなんて!」と最も衝撃を受けていた部分で、この辺りは商人の町である大阪ならではだろう。がもよんでのスピード感ある展開を可能にしたのは、この、金銭的な裏付けがあるという安心だろうとも思う。

最初のお金の話で所有者が興味を示したら、次は「1年で辞めて出ていったらどうなる?」「うまく借りてくれる人が見つけられるか?」などと繰り出される質問に用意しておいた答えを順に出していく。

そんなおいしい話があるかと不審に思っていたとしても、すでに借りたい人までいるとあれば普通はノーとまでは言わない。空き家所有者を口説こうという人は、ここまで用意して臨むべきなのだろう。

もう1つ、古民家飲食店の店主だけでなく、町の人たちをイベントなどで巻き込んできたのも成功の要因だ。がもよんばる、カレー祭り、肉祭り、がもよんフェスなど飲食店が関わるイベントの場合、紹介は必要だが、地域にある店舗は希望すれば参加可能。これによって町全体をアピールできれば、参加店舗にはメリットがある。だとしたら、新規に参入した店舗と仲良くしようと既存店舗も思うはずである。

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飲食店メインのイベントだけでなく、気軽に茶道体験、美文字講座、親子でフラワーアレンジメントなど町の人たちを対象にしたものもあり、子ども食堂も開かれた。

ただ、がもよんの子ども食堂はほかとは違い、食事を振る舞うのではなく、飲食店店主が先生となって食事の作り方を教えるもの。それで飲食業、とくに地元の店に関心を持ってくれる子どもがいれば、かけた労力はいずれ飲食店に帰ってくる。そもそも、子どもたちは料理を教えてくれた先生の店に行きたがるだろう。ほかとは少し違うやり方も理由を聞けば納得。がもよんでのあれこれは本当によく考えられているのである。

ノウハウを広めて町を変えたい

さらに2018年には飲食だけで終わらない町にしようと空き家をリノベーションしたゲストハウスを手がけ、ぶっ飛んだ内装が話題になった。また、2019年5月には空き地を利用した貸農園がオープン予定と、がもよんの変化はまだまだ続いている。

2棟並んだゲストハウスは露天風呂風の浴室、真っ赤な寝室など一度見たら忘れられないインテリアが話題になった(筆者撮影)

そして今、和田氏はこうしたノウハウを広く伝えたいと考えている。

「最初からすべてを計算して始めたわけではなく、ほかに学んだのでもなく、やりながら編み出してきたので10余年かかりましたが、あと10年、15年やっても再生できる空き家は100軒ほど。それ以上を再生させるためには、このノウハウを広め、5年ほどで町を変えられるようにしないとと思っています」。

「がもよんモデル」を日本全国に、というわけである。地域のお荷物である空き家を使い、地域や所有者に感謝される存在に変える。意義があり、かつきちんと収益も上がる。空き家にテナントを入れた際の仲介手数料、耐震改修・内装の工事代金に加え、建物所有者からは管理費も入るので、不動産仲介だけ、工事だけというやり方より効率がいいのである。

もちろん、その分、やるべき仕事は幅広く、言われたことだけをやればよしという人には向かないが、自分で考えて仕事を作り出していける人なら楽しいはずだ。

と思う一方で、そうそう簡単にはいかないだろうとも思う。「がもよんモデル」の原点は人間の心の動き、人情の機微を知り、それに寄り添うことである。よほど人が好きでなければ難しい話で、技術やノウハウとして伝えられるだろうかと懸念する。

だが、日本全国で増え続ける空き家を考えると、ここはひとつ、意欲のある若い人たちに和田氏に倣って取り組んでいただきたいものである。

 

中川 寛子:東京情報堂代表
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記事提供:東洋経済ONLINE

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