37.5歳の人生スナップ Vol.42
2019.01.14
LIFE STYLE

ファーストクラスのサービスを追い求め、CAからセラピストの道へ進んだ男


「ファーストクラスのサービスを。そんな想いでサロンを立ち上げました」。

四谷三丁目駅を降り、徒歩数分。閑静な住宅街を進んだところに現れる、オレンジと黒を貴重にした洒脱な建物のなかに、市原充さん(51歳)のサロン「アーユルヴェーダサロン ウパスティティ」はあった。

部屋に入った瞬間、オイルの香りが鼻をくすぐる。部屋の中心にベッドが一台置かれたプライベート空間は清潔感に包まれていた。ここは、日本ではまだ珍しいアーユルヴェーダの施術がマンツーマンで受けられるサロンである。

市原さんが独立してサロンを開業させたのは、2年前。40代も後半にさしかかってのことだった。それ以前の市原さんの仕事は、なんと大手航空会社の客室乗務員。CA(キャビンアテンダント)だったのだ。

長年の夢だったというCAを辞め、なぜ市原さんはアーユルヴェーダのセラピストになったのだろうか。


女性だらけの職場で悪戦苦闘

1980年代から’90年代にかけて、CAは女性の憧れの職業として名を連ねる存在。社交的で人と接することが好きな市原さんにとっても、それは変わらなかったという。

「CA=女性というイメージがありますが、海外旅行が好きな自分にとっては乗客の方々と一緒に空の旅を楽しめて各地にステイできる客室乗務員は夢の職業でした。当時、日本の航空会社の中で男性が客室乗務員になれたのはJAL(日本航空)だけ。絶対にJALに入って、CAになりたかったんです」。

大学卒業後、見据えていた進路は本命一社のみ。海外への語学留学などの期間も経て、24歳でJALに合格した。CAになりたいという熱い想いは男性というハードルを越え、狭き門を通り抜けたのだ。

当時、女性だらけのCAの世界において男性の客室乗務員は特別な存在だったという。

「女性が1000名以上いるなかで、男性の同期は10数名。女社会なので、それはもう……大変でしたよ(笑)。男性が1人いると空気も変わるってことで、あえて何か問題を抱えたグループに入れられたりするんです」。

ぴりぴりした雰囲気の女性陣のなかに市原さんが投入されたことで、女性達から「働きやすくなった」、「雰囲気が良くなった」と感謝されたことも。いわば仲裁役として場を盛り上げた。その苦労は想像し難いが、市原さんはネガティブな言葉はほとんど発さない。

「仕事ですから、全部楽しい……なんてことがないのは当たり前。やりたい仕事につけただけで幸せだし、人間関係については頑張ればいいんです。本当に楽しい時間を過ごしました。女性の世界の大変さは、身を持って実感しましたけどね(笑)」。

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経営破綻でデスクワークに……。45歳で退職を決意

しかし、順調だった客室乗務員の仕事に陰りが見え始める。2010年、JALの経営破綻が起こったからだ。大規模なリストラが発生するなか、市原さんは現場からデスクワーク中心の総合職に異動させられることとなってしまう。

「会社の経営が傾き始めて方針も変わり、私の所属する総合職客室系では男性CAが全員外されることになってしまったんです。『もう飛ぶことは一生ない』と上司に言われたときは、さすがに悲しくなりました」。

恩のある会社の窮地だけに、すぐに辞めようとも思えなかった。市原さんは地上勤務を5年続けた。

「慣れないデスクワークに奮闘した時期もありました。勤続20年……もやもやしたまま定年まで勤め上げるのか。そんな想いをずっと抱えていました。CAが隣を通るたびに羨ましかったです」。

自分が積み上げてきたものとかけ離れた業務をこなす日々。転職や同業種への再就職も考えたが、年齢的にも体力的にも難しいことはわかりきっていた。

「そもそも自分は組織で働くのが、向いているほうではなくて。接客に関しても、もっと自由にパフォーマンスやサービスの方法を決めてみたいと思っていました。今から再就職しても年齢的に長くは務められないし、いっそ独立して好きに働いてみよう!と決めたんです」。

そこで、浮かんだのがCA時代に散々お世話になったセラピストだった。

「CAって24時間勤務なんて、ザラなんです。空港行って準備をして15時間フライト、その後片付けや移動……あっという間に24時間経っている。もちろん仮眠時間もあるけど、完全に休息はできません。だからステイ先でのマッサージが欠かせない」。

ステイ先で自分が癒しをもらったマッサージ。サービスの方法や質には以前から興味があったという。45歳を前に退職し、通い始めたのはアロママッサージと整体の学校だ。それらを勉強する過程でアーユルヴェーダに興味を持った市原さんは、さらにアーユルヴェーダ専門のスクールに通い始めた。

「月に3日前後の授業を受け、4〜5年かけて卒業する学校でした。学生生活は、これまで出会うことのなかった年代や異業種の人と知り合えたのが面白かった」。

授業と並行して、整体師としてアルバイトをしたり、高級ホテルのスパで研修したりと、学びと実践を重ね、開業資金を貯めた。

「最初は普通のアロマとか整体サロンを開こうと思っていたんですけど、勉強していくなかで自分自身にアーユルヴェーダの施術がすごく合っている感覚があったんです」。

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アーユルヴェーダで1人でも気分を良くできたら

そもそもアーユルヴェーダ、普通のオイルマッサージのようなものをイメージしているとしたら大きな間違い。

「アーユルヴェーダはインド発祥の世界最古の伝統医療で体を整えることを目的としたもの。最初にカウンセリングを行い、その人に適したオイルを使って、トリートメントを行います」。

特徴はなんといってもオイルだ。マッサージで使用するオイルはベースの精油に、香りづけでアロマを加えたものが一般的だが、アーユルヴェーダの場合、使用するオイルはごま油。そこに薬草をいくつも重ね、数日かけて精製したオイルを使用するという。

「ごま油には抗酸化作用があるので、アンチエイジングや疲労回復などにオススメ。マッサージだけじゃなく、食生活や日々の生活習慣などをカウンセリングから見直すことも、アーユルヴェーダのひとつです」。

1人ひとりの体質や症状に合った的確なサービスを提供する。それはCA時代に人を見極め、接客を行う感覚に似ていた。しかし、サロン開業から2年経った今も、経営に関しては課題が山積みだという。

「オイルをふんだんに使用し、シャワーで流す時間なども含まれるため、アーユルヴェーダのコースは基本的に3時間前後かかります。準備や片付けを含めると1人施術するのに5時間ほど要するので、1日に2組施術するので手いっぱい。正直、今のやり方では経営者としては0点ですね(笑)」。

時間とコストがかかるうえに、日本で一般的ではないアーユルヴェーダは集客もハードルが高い。だからこそ、なかなかアーユルヴェーダサロンに手を出す人は少ないのだ。それでも市原さんが今の仕事を続けていられるのはなぜなのか。

「CA時代も現在も共通しているのは、人と触れ合う仕事がしたいということ。自分のサービスで満足してもらえたり、誰かの気分が良くなってもらえるのが嬉しいんです」。

たとえば、アーユルヴェーダの施術を受けたお客さんがレビューを書いてくれたとき。それはCA時代、搭乗後のアンケートにサービスへの賛辞と共に自分の名前を上げてもらえたときのような、やりがいや喜びがあるという。

「自分が自信を持って接客できたとしても、本音のところでお客様がどう思ってるかまではわからない。だからそういった反応をもらえるだけで、すこし心と心が通い合ったような気がして幸せな気持ちになるんです」。

そう語る市原さんの穏やかな声音は、子守唄のように心地よい。人をリラックスさせる術を知っている人なのだ。誰かを喜ばせることが自分の充実感に繫がる。それを知っている市原さんの施術は、特別な癒しを与えてくれるに違いない。

【取材協力】
アーユルヴェーダサロン ウパスティティ
https://ayurvedic-salon-upasthiti.com/

藤野ゆり(清談社)=取材・文

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