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2018.12.22

ライフ

脱サラしてプロに、一転稼業へ。あるプロゴルファーの回想と達観

OCEANS’s PEOPLE ―第二の人生を歩む男たち― Vol.4
人生の道筋は1本ではない。志半ばで挫折したり、やりたいことを見つけたり。これまで歩んできた仕事を捨て、新たな活路を見いだした男たちの、志と背景、努力と苦悩の物語に耳を傾けよう。
久古千昭のインタビューを最初から読む 
現在53歳の久古千昭はプロゴルファーである。26歳のときに初めてクラブを握り、5年後にはプロテストに合格していた。なぜそんなことができたのかは、今もってわからない。無責任な言い方をすれば、彼は天才だったのだ。にも関わらず、プロゴルファーは彼のゴールではなかった。今、彼は「第二」ではなく「第三」……もしかしたら「第四」ぐらいの人生を歩んでいるとも言える。
これは、脱サラしてプロゴルファーを目指した男の成功の記録。そして達観に至った記録でもある。

レイクウッド総成カントリークラブのプロゴルファー研修生として3年を過ごし、プロテストの受験資格を得たその年に一発合格。
久古千昭がプロゴルファーとして認証されたのは、1996年10月4 日、満 31歳だった。久古さんによると、当時の受験希望者は数千人に及んだという。プロテストを受ける資格を得ることができるのは、ピラミッドの頂点のみ。トップ中のトップ以外は、そもそもテストを受けることすらできず次の年のチャンスに賭けるしかなかった。同じ年にプロゴルファーとなったのは、44人。非常に狭き門だ。
「たぶん僕には一点突破するための集中力はあったと思うんです」。
ラジコン欲しさのあまり、中学時代には夏休み、冬休みとバイトをしまくった。高校卒業後にはバイクのロードレーサーを目指し、就職も日常生活も全部それメインで決めた。目標さえきちんと設定されていれば、必死になれる性格なのだという。そして、一度社会に出たことで戦術を立てることを覚えた。
ラジコンもバイクも失敗した。だがプロゴルファーにはなることができた。必死だったが“死ぬ”つもりはなかった。絞りかすも出ないほど目標に全精力を傾けながら、「自己分析して、どんなふうに取り組めばいいかを、考えて挑戦したんです」。
「段取りってやつですね。僕はある程度歳食ってからプロゴルファーを目指したので、“長所オンリー”でいこうと思ったんです。欠点を埋めていくだけでは平均的にしかならない。短所には目をつぶって、とにかく長所を伸ばしていこうと。そうすると、短所も引きづられて伸びていくものなんです。短期決戦で勝ちに行くにはそれしかないんです。いびつな状況からかたちにしようとするなら、武器を徹底的に磨かないといけない」。
武器に関しては、師匠にもしつこいぐらいに問われ続けた。
「僕にとってはドライバーの精度を上げることが最優先事項でした。もともと飛距離は出ていた。そこに精度が加われば、十分戦えます。それを強く意識して毎日練習し、自力で手が届かない部分に関しては、ボールを変え、クラブもパーシモンからメタルに変えて、少しでも長所を伸ばす努力をしました」。
それは、プロゴルファーになる、というミッションを遂行することで結実した。


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