「渋谷系」再考論 Vol.3
2017.05.08
LIFE STYLE

“渋谷系”の言葉が生まれたとき、フリッパーズは解散していた~渋谷系再考論③

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90年代前半は外資系CDショップとミニシアターが全盛だった

1991年、小沢健二と小山田圭吾の影響から東京・渋谷に恋い焦がれていた私だが、最終的に大阪の大学に進学することとなる。嬉しいことに大阪にも、私にとって恵まれた環境が整っていた。それは外資系CDショップとミニシアターの存在である。

そもそも“渋谷系”とは、渋谷界隈にあった外資系CDショップを発端にヒットした音楽を指すとされる。その代表が「タワーレコード」と「HMV」だ。ちなみに外資系でも渋谷でもないが「六本木WAVE」も当時影響力があった。そしてCDショップの近く(もしくは併設)には、「シネマライズ」「ユーロスペース」「シネ・ヴィヴァン」などのミニシアターがあった。

同じように、1991年の大阪では梅田や心斎橋・アメリカ村の界隈に、外資系CDショップとミニシアターが存在していた(「シネマ・ヴェリテ」「テアトル梅田」「扇町ミュージアムスクエア」など。「パラダイスシネマ」はもう少し後)。

当時の私は、外資系CDショップで新譜をチェックし、ミニシアターで映画鑑賞した後、中古レコード屋や古着屋を回るのが定番のコース。恥ずかしながら、それがカッコいいものだと信じて疑わなかった。実際にそのおかげで、時代の変化を体感することができたのだ。

「オレンジジュース」の再発CDと「ネオアコ通信」

そもそも外資系CDショップがなぜ影響力があったのか。それは、輸入盤の取り扱い数の豊富さと、なにより無料で試聴ができることだった。今でこそ試聴は当たり前だが、当時は画期的なことだった。それまではジャケットと宣伝文句の情報を頼りに、清水の舞台から飛び降りるつもりで3000円を支払っていた。それゆえ、なかなか冒険は難しかった。しかし試聴のおかげで、ショップ店員のお薦めのアーティストを“学習”することが出来るようになったのである。それだけ足しげく通う価値があったのだ。

当然、「フリッパーズ・ギター」が影響を受けたアーティストを辿る“元ネタ探し”も、大阪に出てから一層はかどることになる。彼らの元ネタが多い80年代のネオ・アコースティック(通称ネオアコ)の名盤が次々とCDで再発された時期でもあり、中古レコード屋で1万円以上の値段で売っていた楽曲をようやく耳にする喜びを毎日のように実感していた。

中でも「オレンジジュース」の再発CDでは、「フリッパーズ・ギター」の二人が解説文を書いていて「フリッパーズ・ギターはそもそもOJのアルバムをCDにするという目的のために活動していて、目的果たしたら解散するっていう噂もあったもんねえ(原文ママ)」なんてことを綴っていた。同CDに封入されていた音楽ライター宮子和眞氏の「ネオアコ通信~ネオ・アコースティック・ディスク・コレクション」も面白かった。そもそも、あるアーティストのCDの解説に、そのアーティスト以外のディスク・レビューが載っているなんて。90年代前半では、元ネタや源流探しがいわゆる“トレンド”だったことがわかる。

「オレンジジュース」の1stアルバムがCDで再発されたときの解説と付録

“渋谷系”の言葉がメディアで生まれたときには、フリッパーズは解散していた

そんな中、「フリッパーズ・ギター」の新譜『ヘッド博士の世界塔』が発売される。それまでのネオアコ系サウンドから、サンプリングを駆使した複雑なサウンドコラージュのような世界観。元ネタ自体も、「ビーチ・ボーイズ」「バッファロー・スプリングフィールド」「スライ・アンド・ザ・ファミリーストーン」など60年代のアーティストと、同時期にイギリスで巻き起こっていたマンチェスター・ムーヴメントやシューゲイザーといった最新トレンドが同居するという、なんとも偏執狂的なアルバムだった。
(と、今なら冷静に解説できるが、当時の私の感想は「よくわからない」。彼らの進化のスピードについていけてなかったのだ)

フリッパーズの3rd『ヘッド博士の世界塔』の初回盤ジャケットは、特別使用「飛び出る写真」になっていた(写真は通常盤)

同じ年には、イギリスのレーベル「クリエーション・レコーズ」から発売された奇跡の3枚、プライマル・スクリーム『スクリーマデリカ』、ティーンエイジ・ファンクラブ『バンドワゴネスク』、マイ・ブラッディ・バレンタイン『ラヴレス』が発売。

今でも胸アツな3枚。右から「プライマル・スクリーム」「ティーンエイジ・ファンクラブ」「マイ・ブラッディ・バレンタイン」。どれも赤いのは偶然か?

アメリカでは、ニルヴァーナ『ネバーマインド』、ダイナソーJr『グリーン・マインド』、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』が発売され、音楽を通じて“時代が変わる瞬間”を味わうことができた。それが1991年だったのである。

渋谷系とはちょっと外れるかもしれないが、’91年発売のアメリカン・オルタナティブロックの傑作3枚。右から「ニルヴァーナ」「ダイナソーJr」「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」

日本でも、そういった時代の変化に触発され、あらゆるジャンルをミックスさせた新しい音楽が続々リリースされるようになる。1991年後半には、それらの音楽がメディアで“渋谷系”と名付けられ、いよいよ翌年からブームが到来するのだが、その時には「フリッパーズ・ギター」は解散していたのだった――。

(vol.4に続く)

取材・文/藤井大輔(リクルート『R25』元編集長)
1973年富山市生まれ。95年にリクルートに入社し、31歳のときにフリーマガジン『R25』を創刊。現在はフリーランスの編集者でありつつ、地元富山では高齢者福祉に携わっている。

# 小沢健二# 渋谷系# 音楽
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