FUN! the TOKYO 2020 Vol.14
2019.07.06
LEISURE

柔道との出合いがすべての始まり。視力を失った男が絶望と向き合った日々

高層ビル内にあるオフィスの会議室に通されてから2〜3分が経った頃だろうか、その男は柔和な笑みを浮かべながらゆっくりとこちらに歩いてきた。隣には2人の付き添いがいる。

人懐っこい笑顔を浮かべながら、その男は筆者に対して、椅子に座るように促した。

「どうも、どうも。今日は暑いですねぇ」。

鈴木純平=撮影

筆者の目の前で笑顔を見せるこの男は、2008年の北京パラリンピック柔道90kg級に出場した障害者アスリート、初瀬勇輔(38歳)だ。初瀬は現在、視覚障害者柔道で2020年東京パラリンピックへの出場を目指し、日々練習に励んでいる。

直後に国際大会の予選を兼ねた大事な試合を控えているにも関わらず、初瀬の表情は明るかった。試合に向けた調整は順調に進んでいたのだろう。

そして迎えた2019年6月16日(日)。東京都文京区にある講道館で行われた「IBSA柔道アジアオセアニア選手権大会 日本代表候補選手選考試合」。この大会に90kg級で出場した初瀬は、初戦こそ背負い投げで一本勝ちを納めたが、準決勝で延長戦の末に敗退してしまう。僅かな差で国際大会への切符を手にすることができなかった初瀬は、翌日に自身のSNSでこう綴った。

「2020年の東京パラリンピック出場の可能性は、まだ少し残っていますので、背水の陣で挑戦を続けます。これからも応援よろしくお願いします」。

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初瀬と柔道の出合い

初瀬は幼い頃に両親が離婚し、母子家庭の中で育てられた。小学校の低学年までは本が大好きな少年だったが、1年生のときに地元のスポーツクラブに入り、さまざまなスポーツを体験する。だが、どのスポーツも決して得意ではなかったという。

初瀬が初めて武道の世界に触れたのが小学校5年生のときだった。仲の良い友達が始めたからという理由で、空手を始めることにした。だが、友達の付き合いで始めただけの空手に、初瀬が夢中になることはなかった。試合ではいつも負けてばかりだったが、悔しさを感じることもなかったという。

初瀬にとっての最初の転機は、中学校1年生のとき。入学した中学校に、空手部がなかったため、「同じ武道」という理由だけで柔道部に入部したのだ。同学年の仲間は皆、柔道の未経験者。初瀬自身も柔道は未経験だったが、武道を経験していたという理由で、キャプテンを任されることに。このとき初めて「俺がやらねば」という自覚が芽生えた。

柔道を始めた初瀬は、練習を重ねるにつれて、柔道が自分の肌にあっているんじゃないかと感じるようになった。空手のときはまったく感じられなかった「強くなっている」という感覚を、柔道では味わうことができたのだ。先輩たちと手を合わせ、自らの成長を確かめながら真剣に柔道に打ち込むようになる。空手のときとは異なり、柔道で試合に負ければ悔しく、試合に勝てば嬉しいと素直に感じることができたそうだ。

柔道を始めた頃は経験不足もあり、試合ではなかなか結果が出なかったが、高校生になった頃から徐々にその頭角を現す。高校2年生のときに初めて長崎県の県大会で3位になると、さらに高校3年生でも県大会3位、そして国体の強化選手にも選ばれるほどに、初瀬は力をつけていた。それでも初瀬は当時の自分の実力を、客観的に見ていた。

「僕は1980年生まれで、(アテネ五輪100kg超級金メダルを獲得した)鈴木桂治選手らと同じ世代なんですよ。本当にツワモノがたくさんいました。長崎県大会で優勝した選手ですら、全国大会では1回戦で負けてしまう。オリンピックに出るなんて、想像もつかないくらい大変なことだとわかっていました」。

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23歳で視力を失い、未来を奪われた

柔道では全国トップレベルまでは辿り着けなかった初瀬には、別の目標があった。弁護士になるという目標を持っていたのだ。

そんな初瀬が初めて自分の目に異変を感じたのは、19歳のときだった。浪人しながら、志望校への合格を目指していた頃、ふとしたときに、左目をつむり、右目だけで辺りを見回してみたところ、極端に視力が悪くなっていることに気がついた。すぐに地元長崎県の病院で検査をすると、右目の緑内障と診断される。緑内障とは、視神経に障害が起こり、視野が狭くなる病気で、日本における失明原因の第1位と言われる。初瀬は、右目の中心視野が欠けてしまい、右目の視力をほとんど失ってしまった。

しかし、普段は、右目の欠けた視野を左目で補っていたため、日常生活に支障をきたすことはなかった。医師からも「治らないよ」と言われたが、大してショックを受けることもなかった。なぜなら、右目の視野が欠けていても、問題なく生活できていたからだ。

3浪の末に大学に入学し、司法試験に向けて本格的に勉強を始めようとした大学2年の終わり頃、初瀬に再び大きな転機が訪れた。今度は左目に異変が見つかったのだ。信号が見えにくくなったり、歩いていても何かにぶつかったりすることが多くなった。異変を感じてすぐに病院に行くと、今度は左目も緑内障であることがわかった。すでに病状は進行していたため、すぐに手術を行ったが、術後に初瀬を待ち受けていたのは、それまで生きてきた世界とは、全く別の世界だった。

「手術を終えてしばらくして眼帯を外したとき、ものすごい衝撃を受けました。見えない。目の前にいる人の顔がわからないんです」。

【後編】へ続く

 

瀬川泰祐=取材・文

# TOKYO2020# スポーツ# 東京2020# 東京パラリンピック# 柔道
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