FUN! the TOKYO 2020 Vol.6
2019.05.04
LEISURE

“東京1964”を知る男が語るテレビ中継の舞台裏。TOKYO 2020はどうなる?

FUN! the TOKYO 2020 
いよいよ来年に迫った東京オリンピック・パラリンピック。何かと “遊びざかり”な37.5歳は、 この一大イベントを思い切り楽しむべき。 競技を観るのもするのも、主な拠点となる東京を遊ぶのも、 存分に。2020年の東京を……Let’s have FUN!

競技日程も発表され、いよいよ開幕に近づいてきた感がある東京オリンピック・パラリンピック。今回も競泳の決勝がアメリカのゴールデンタイムに合わせ午前中に行われるなど、現在のオリンピックにおいてテレビの影響力は大きい。

またオリンピックは映像・放送技術発展とその普及の節目にもなってきた。実は1964年、前回の東京五輪も、テレビ放送にとって大きな転機となった大会であったという。

1964年の東京オリンピック、マラソン中継の様子。「第18回オリンピック東京大会放送実施報告書」より。

当時の状況を、1959年にNHKに入局し、以来スポーツ番組のディレクターとして数々のオリンピック放送に関わり、80歳を超えた今日でもスポーツ放送の第一線で活動する杉山 茂さんの体験談を中心に、今では当たり前となっている技術の原点となった前回の東京オリンピックを振り返った。

ビデオの空輸から「宇宙中継」の時代へ

日本のテレビ放送開始は1953年だが、日本人がお茶の間でオリンピックを初めて見たのは1960年のローマ大会だった。当初はすべて生放送。録画放送が可能になったのは、1956年にアメリカのアンペックスという会社がビデオテープを開発してからだ。

「僕のオリンピックとの関わりは、ローマから空輸されてくるビデオテープを羽田空港に取りに行く仕事からです」と杉山さんは語る。

もっとも、夜の羽田に着いたテープを翌朝放送するときには、ラジオや新聞を通してみんな結果を知っていた。今とは違い、テレビは速報性に欠けるメディアだったのだ。

その流れを変えたのが、放送衛星の打ち上げだった。1963年11月、日本とアメリカを結ぶ太平洋上の衛星の伝送実験で送られてきたのが、ケネディ大統領の暗殺であった。

大西洋上にはアメリカと欧州を結ぶ衛星が打ち上げられており、1964年のインスブルック冬季オリンピックでは、映像がアメリカに送られていた。

この年の東京オリンピックでは、映像がまずアメリカに送られ、アメリカから欧州21カ国に伝送された。ちなみに北米大陸のカナダは、アメリカで録画された映像を空輸して放送していたので、アメリカの隣国でありながら、映像を見るのは欧州より相当遅かったという。

1964年の東京オリンピックでは、NHKがすべての放送を担っていた。その技術実施本部には「宇宙中継班」というのがあったという。

「衛星中継のことを、最初は宇宙中継と言っていました。ところが、1969年にアポロ11号が月面着陸をして宇宙から映像が来て、『これこそが宇宙中継だ』ということになったんです。それ以来、呼び方が衛星中継に変わるわけです」と杉山さんは語る。

 

球技には使われなかったスローモーション

放送技術で画期的だったのが、スローモーションであった。「東京オリンピックのときには、ビデオテープの速度を操作することでスローモーションにさせるという、一種の離れ業をNHKの技術班が開発しました」と杉山さん。

今の画像の鮮明さとは比較にならないものの、5倍速スロー、すなわち男子100メートルの10秒を50秒にしてみせた。映像を静止させるストップモーションも1964年の東京オリンピックから登場した。

スローモーションが使われたのは、主に陸上や競泳の短距離。ゴールの競り合いや、フォームの分析に用いられた。この大会全体でスローモーションの延べ使用回数は135回。今日に比べると極めて限定的だ。

陸上競技や競泳以外にも体操や柔道などで使用されたが、意外なことに、サッカー、バレーボールなどの球技では使用されなかった。

カメラの台数も、サッカーやバスケットボールは3台、バレーボールは4台しかない。今からみると、非常にシンプルな放送だった。

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自衛隊のヘリを使って実現した五輪初のマラソン完全中継

1964年の東京オリンピックでNHKが2年の歳月をかけて研究し、オリンピックで初めて実現したのが、マラソンの完全中継だった。

「片道20キロの映像をどう伝送するかが最大の問題でした。そこで考えたのが『ミニ宇宙中継』です。宇宙中継は衛星を使いますが、マラソンではそれをヘリコプターがやりました」。

しかし2時間余りを飛び続けるヘリコプターなど、通常はなかった。そこで自衛隊の力を借りてヘリコプターを飛ばした。

当時中継車両として認められたのは、テレビ、ラジオ、記録映画各1台の3台のみ。まだ若手だった杉山さんは「1台ではつまらない。ラジオを潰してテレビを2台にしたらどうでしょう」と提案したが、先輩からは「余計なことを言うな」と相手にされなかったという。当時はまだテレビは新興メディアであり、「ラジオが圧倒的に強かったですよ」と振り返る。その結果、独走したエチオピアのアベベだけを映すことになった。

マラソン中継のためにNHKは技術98人、ディレクター23人、アナウンサーが9人を動員。沿道には21台のカメラを設置し、アナウンサーのリポートが入った。

1964年の東京オリンピックではホッケー担当であった杉山さんも動員され、折り返し点を担当。日本選手が先頭から何分差で何位かなどをチェックしていた。

 

2020年、開会式の映像はイギリスが担当

1964年の東京オリンピックを終えて杉山氏は、「スポーツとテレビは相性がいい。スポーツはテレビによって、ものすごく発展するだろうな」という感想を持ったという。

その一方で、中継もカメラの台数が増え、放送技術も多角化したことから、オリンピックはひとつの放送局で担えるイベントではなくなった。

2020年の東京オリンピックでは、2001年にIOC(国際オリンピック委員会)によって設立されたオリンピック放送機構が主管し、日本のNHK、民放をはじめ世界の放送局、プロダクションが中継を受け持つ。

実は開会式の中継はイギリスのプロダクションが行うことになっている。「(演出を統括する)野村萬斎氏が、日本人が大切にする“間”みたいなものを訴えようとすると、イギリスのプロダクションは、わからないかもしれませんね」と杉山さんは懸念するが、一方でそういった課題をどのように解決していくのかも見どころと言えるかもしれない。

放送技術に関しては、4K,8Kと「画質の良さは極限まで来ています」と語る杉山さんは、「映像上は完成に近いと思います」とも言う。それだけに「1964年はテレビの技術がここまで来たと映す場でしたが、50年経って、スポーツの素晴らしさや、楽しさをアナウンサーや解説がどう伝えるかが大切です」と杉山さんは話す。

現在も、現役でスポーツ中継の仕事に携わる杉山 茂さん。

「放送技術の革新と開発がテレビをここまでのものにしました」と、放送技術の変化を現場で体験し、開発者に敬意を持っている杉山さんだけに、その言葉の意味は重い。果たして、2020年の東京オリンピックでは「歴史の残る放送」が生まれるか。競技だけではなく、伝える人々の仕事とその表現にも注目してみたい。

杉山 茂(すぎやま しげる)●1936年東京生まれ。’59年に慶応義塾大学を卒業してNHKに入局。スポーツ番組の制作、演出、企画を手掛けた。’98年の長野オリンピックでは、長野オリンピック放送機構のマネージングディレクターを務める。’98年6月に退局したのちも各方面で活躍。現在エキスプレススポーツのエグゼクティブプロデューサーを務める。

大島裕史=取材・文

# TOKYO2020# TV放送# 東京2020# 東京オリンピック・パラリンピック
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