どっぷり、たっぷり浸るデニム愛。 Vol.16
2018.10.18
FASHION

【パニナリ編】レジェンドから学ぶ「グッドデニムスタイル考」

デニムが労働着からファッションに昇格したのは、第2次世界大戦後のこと。それ以来、世界中のスター、若者たちが、デニムを魅力的にはきこなしてきた。その伝説のデニムスタイルには、今見ても格好良くなるヒントがいっぱいだ!

ミラノの’80年代のアメカジ、ちょいダサなパニナリが新鮮だ

イタリアはミラノのサン・バビラ広場の一角に、1981年、イタリアでは珍しかったハンバーガー店「Burghy」の1号店がオープンした。そのあまりにもアメリカ的でジャンキーなハンバーガーに眉をひそめる大人も多かったというが、若者世代はようやく入ってきたアメリカ文化に狂喜乱舞したという。

’80年代のアメリカ文化は眩いばかりに光り輝いていて、日本だけじゃなく世界中の若者が恋焦がれていたのだ。

渋カジのように若者が共通のアメカジファッションに身を包み、チーマーのように集団で青春を謳歌したミラノのパニナリ。ユースカルチャーの牽引役として、’80年代のヨーロッパの若者に大きな影響を与えた。アメリカに憧れたのは、日本だけじゃなかったのだ。

また、この頃のイタリアでは、良家の子息をアメリカの大学に留学させるのが流行っていた。現地で現在進行形のアメカジに触れて帰国した彼らは、アメカジに身を包んだ仲間とともに、Burghyのあるサン・バビラ広場にたむろするようになった。

やがて彼らはイタリアのサンドイッチ=パニーニにちなんで、パニナロ(集団)、パニナリ(個人)と呼ばれるようになる(ハンバーガー野郎的な侮蔑が込められていると思われる)。そして彼らのファッションとライフスタイルは、「PANINARO」や「PREPPY」という雑誌や、’86年リリースの英ポップユニット、ペット・ショップ・ボーイズの歌「パニナロ」を通して、ヨーロッパ中に伝わった。

パニナリはアメカジベースのファッションだったが、アメリカとヨーロッパの要素が混在していた。象徴的なアウターは、モンクレールのダウンジャケット。リーバイス501、ティンバーランドのチャッカブーツ、インヴィクタのカラフルなバックパック「ジョリー」、ストーンアイランドのセーターなどが愛用されて爆発的にヒットした。

日本では知る人ぞ知る存在のパニナリ。’80年代回顧全盛の今、このちょっとダサい“イタリア版の渋カジ”が、とびっきり新鮮である。

いざ、’80年代のミラノにタイムスリップ!
当時も今も、日本でパニナリが紹介されたのはごく僅か。ゆえに、変にアレンジするのではなく、当時の雰囲気を再現するだけでも新鮮で面白い。ダウンはモンクレールでもいいけれど、’80年代っぽさ全開なアメリカブランドのジェリーの鮮やかなカラーリングのものを。ホワイトデニムをロールアップして、ティンバーランドのイエローブーツを合わせれば、一丁前のパニナリだ!

デニム2万円/ハンドルーム(エブリマン 03-3481-8347)、ダウンジャケット2万7000円/ジェリー(シアン PR 03-6662-5525)、ニット2万7000円/スローン(ユナイテッドアローズ 原宿本店 03-3479-8180)、シャツ1万2000円/J.プレス・ブルーブルー(ブルーブルー 03-3715-0281)、バッグ2万2000円/ディーゼル×インヴィクタ(ディーゼル ジャパン 0120-55-1978)、ブーツ1万9000円/ティンバーランド(ティンバーランド/VFジャパン 0120-953-844)

インスタで触れるパニナリの世界
パニナリに興味が湧いたら、インスタグラムで「#paninari」 や「#paninaro」と検索してみよう。’80年代の生き生きとした空気感が伝わってくるし、当時のコスプレを楽しんでいるパニナリのオッサンたちも微笑ましい。

 

鈴木泰之=写真 柴山陽平=スタイリング 境 陽子=イラスト 増田海治郎=文

# アメカジ# デニム# パニナリ
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