2019.12.27
FAMILY

「子供の個性」を本当に伸ばすために大事にしたいフツーのこと

連載「オトーチャンズの心得:小学校編」
オレが楽しいと家族も楽しい!をモットーに生きる「O父CHANS(オトーチャンズ)」。可愛い我が子も小学生になれば頼もしくも生意気になり、親の責任は増すばかり。さらに昭和に生まれ令和のオヤジになる我々には、己の見知る父親像からの脱却が求められている。絶賛パパ奮闘中の人に届けたい!

オトーチャンズの心得

「好きなことで生きていく」時代に足りないもの

「好きなことで生きていく」。YouTubeのCMであらためて注目されたこの言葉は、世間に強いインパクトを与えた。実際にYouTubeをはじめとした各種ネットサービスの進化・充実は、過去にはまず収入につながらなかったようなニッチな分野、マニアックな知識で食っていくことを可能にしてくれている。

こうして、かつてないほどに好きなこと、やりたいことを追求する個性が“アリ”となったこの時代。たとえ勉強ができなくとも、個性的であっても、成功できる可能性は昔よりもはるかに高くなった。そうなれば余計に子供の個性・特徴を伸ばしてあげたいと思うのが親心。しかし、もし個性を伸ばす方向に走るあまり、基礎である学びを軽視するようになってしまったらどうだろう。

例えば初等教育では、古くから「読み書きそろばん」が基礎であり大事なものとされてきた。けれど実は今、教育の現場ではこの「読み書きそろばん」、特に読み書きの能力低下が問題となっている。世界の15歳を対象に実施されている国際学力調査「PISA(ピザ)」(※)において、日本の読解力ランクはズルズルと順位をさげ、最新の2018年調査では前回(2015年)の7位から大きく順位を下げて15位となっているのだ。

国際学力調査「PISA(ピザ)」。世界の子供たちの科学、数学、読解力を測定するため3年に一度OECD(経済協力開発機構)が行なっているもの。2018年は79の国と地域を対象に60万人のデータが集められた。

個性を大事にすると、読み書きがおろそかになる。そんなこじつけをするつもりは一切ない。この2つにおそらく直接的な関連は無いだろう。少なくとも今のところは。ただとにかく、初等教育におけるド基礎である「読み書きそろばん」が危うくなっている、この現実を頭の片隅に置いてほしい。

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そもそも「読み書きそろばん」とは?

ここで「読み書きそろばん」の意味について、確認しておきたい。まず「読み」とは単に文字が読めるということだけではない。相手の伝えたいことを正確に読み取るまでのことを含んでいる。また「書き」も同様に文字が書けるだけでなく、自分が伝えたいことを正確に書いて表すことまでが求められているのだ。

そして最後の「そろばん」についても、道具として「そろばん」を使いこなすということではなく、数字を把握して計算し、答えを導き出す能力までを指している。

改めて知れば、「読み書きそろばん」は生きていくことに必要な基盤であることを再認識するとともに、大人になった自分自身が本当にちゃんとできているのか、ちょっと自信がなくなるところではある。子供の能力低下を憂いているどころではない。SNSの炎上トピックをウォッチしてみれば、大人の読み書き能力も十分に危ういことがわかるはずだ。

 

個性の時代でも「一般」を大切にしたい

社会生活においては、この読み書きそろばんを含むより広範な「一般教養」までも必要であるのは言うまでもない。この「一般教養」という言葉も改めて辞書を見てみれば、「広く人間として要求される教養。また専門的教養の基礎としての広い教養」となる。

専門的ではなく、特に尖ってもいない。人に語って聞かせても面白がられることもなく、個性の発揮に直接結びつくものでもない。ただ“あって当たり前”のもの。だからこそこれは、共通の知識レベルにあることを前提としたコミュニケーションに欠かせない言語にも喩えられよう。

言葉が通じなければ、その世界で活躍することが不可能、というわけではない。言葉の壁すらものともしない才能の持ち主も中にはいる。しかし、コミュニティの一員としてやっていくには、やはり言語の取得は前提にあって然るべきだろう。面白がられないものであっても、一般教養は個性を伸ばすことと同様に必要なものではなかろうか。

 

「一般教養」は机に座っているだけでは十分に得られない

もっとも、子供の個性を伸ばすことのみを最優先にし、小学生の一般教養にあたる教科の勉強をおろそかにしても構わないとまで考える親は少ないはず。教育熱心な親であれば、勉強は人並み以上にこなさせたうえで、さらに何か秀でた個性や一芸を伸ばしてあげることに腐心しているといったところか。

しかし教養は、いわゆる“勉強”をこなせば身につくものでもない。教養とは広く学び、身につけた知識によって養われる理解力、心の豊かさである。それは机に向かう勉強以外にも、読書を始め、音楽、美術など幅広い体験を得なくては身につかない。さらに一般教養を社会人になるまで取得しておくべき常識とするなら、マナーや礼儀を習得することもその範囲に含まれる。

しかもそれらは、ネットで効率よく得ることはできないもので、体験を通じて得ていくしかない。さあ、ここからが家庭の実体験係、オトーチャンズの出番である。勉強と個性の育成が、親が与える教育のすべて、なんてことにならないよう、子供には薄く広く、あらゆることに触れる機会を作ってあげられるように頑張ってもらいたいところだ。

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子供の個性を応援する「後押し」の危険性

フツーが個性を生かす

子供それぞれの個性、才能を伸ばすことはもちろん大切であることに違いはない。しかし同じように、安易に子供の個性や才能のみに賭けることには慎重になるべきではないのか。

場合によっては、あえて一度は子供の才能を阻む壁になってみせる、そうした悪役を買って出ることも必要だろう。オトーチャンズは子供の夢に対して、面倒臭い存在であっていいのだ。子供の個性を生かし、伸ばしてやることに労を惜しんでほしくはない。しかし、同時に「読み書きそろばん」や「一般教養」の大切さも忘れないでいてほしい。

最後に、「親が子供の夢を後押しする」、「親の後押しで子供の個性を伸ばす」といった、考え方について触れておきたい。と言うのも「子供が望んだから」「可能性があるから」と親が背中から後押しすることについて、もっと慎重であってもよいと考えるからだ。

後ろから背中を押すばかりでは、本当に子供が見据えているものに気づけないこともあるだろう。子供からしても、本当には違う方向を向きたいのに、一方的に後ろから押され続けているようでは、向きを変えることもままならない。それは、結果的に子供の可能性を潰していることになってしまう場合もある。

オトーチャンズの手は、闇雲に子供の背中を押すためではなく、助けが必要なとき「ファイト一発!」とばかりに、引き揚げてやるためにこそ使ってほしいと思うのだ。

 

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宇都宮大洋=文 asacom.=イラスト

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