乗りたかったのは、キブンが乗るクルマ Vol.232
2021.05.04
CAR

世界最強の4台のイタ車に見る、ラリーカーをマイカーにできる魅力

アクセルベタ踏みで、街中から未舗装の山道までを駆け抜ける、最も過酷なカーレースとも言われるWRC(世界ラリー選手権)。つまりラリーカーはその過酷なレースに耐え得る最強の車ということだ。

そして実は、WRCの出場車は市販車を改造したマシンであることが義務付けられている。

そのためWRCマシンには必ず市販車が存在するのだが、なかには無理矢理、市販車を作り上げることも。そんな表からは見えにくいメーカーの努力の歴史を、WRCで活躍したイタリアの名車4台から見てみよう。

 

■あまりにも速すぎで失格になった!?「ランチア フルヴィア・クーペ1.6HF」

ランチアがフィアット傘下に収まる前の、最後の車となったフルヴィア。1LのV型4気筒エンジンをフロントに載せて前輪を駆動させる小型セダンからデビューした。

写真は18台作られたワークス・ラリーカーのうち、最後の1台。1974年のワールドカップラリーが最後のレースとなった。以降同社のラリーはストラトスが担う。

その後1.3Lまで排気量をアップした2ドアのクーペが追加されたが、このクーペをベースに、ラリー参戦を目的に市販されたのがクーペHFだ。

つまりラリーのために最初からベースの市販車のレベルを引き上げたってこと。このクーペHFをベースとしたラリーカーは、ランチア初の勝利をもたらし、以降の輝かしい戦歴の第一歩となった。

フィアット傘下となってからもベースとなった1.3Lのフルヴィアクーペは製造され、ラリーカーが1974年で姿を消したのに対し、1976年まで生産された。

その後もベース市販車の戦闘力アップ作戦は繰り返され、最終的に1.6Lまで排気量をアップした1.6HFをベースに、フルヴィアはラリーで黄金期を迎えた。

あまりにも速すぎたため、レース車両が通過時間をチェックするチェックポイントの設営が完了する前に通過してしまい、「早く着き過ぎたから失格」という前代未聞の逸話を持つ。

この市販車は少ないながら現在の日本でも流通している。70年代当時のカーレース最前線の車を自分で操れる。このワクワク感もラリーの魅力のひとつと言って過言ではないのだ。

 

■とりあえず市販すればいいんでしょ?な「ランチア ストラトスHF Gr.4」

ラリーで勝つためだけに作られたマシンが、ストラトスHF Gr.4だ。

もちろんルールだから、市販車も販売されたが、レースカーを公道も走れるように改造しただけ(順序が逆!)。さらにオイルショックの影響をもろに受け、まったく売れなかったらしい。

写真は1981年のスペイン・ラリー選手権や1982年のスペイン・ツーリングカー選手権において、いずれもシリーズチャンピオンの座についたマシン。

一方で本願のWRCは!?というと、あっという間に連戦連勝。1974年〜1976年の3年間、マニュファクチャラー・タイトルをランチアにもたらした。

ホイールベースはわずか2180mmと軽自動車よりも短い。対して全幅は1750mmもあり、全高は小学1年生の平均身長よりも低い1115mm。

勝利に徹したこの特異な縦横比の構造を、見事なデザインでまとめ上げたのはベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニ。ランボルギーニ・ミウラやカウンタックも彼の作品だ。

カロッツェリアであるベルトーネが企画し、ランチアに売り込んだマシン。本物を手に入れるのは極めて難しく、2020年日本で行われたオークションでは7100万円で落札されている。

エンジンはフェラーリ・ディーノ用の2.4L V6、製造にはカウンタックなどを開発したジャン・パウロ・ダラーラも関与している。数あるスーパーカーの中でも異彩のオーラを放つパーパスビルトカー(特定の目的のためだけに作られた車)だ。

当時はまったく売れなかったというストラトスHF Gr.4だが、市販車でこんなスペックの車に乗れるなんてあり得ない。その魅力が再認識されてきているのが、7100万円という値段に現れている。

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■平凡な車がラリーチャンピオンに!?「フィアット アバルト 131ラリー」

ランチアのストラトスのように、最初からラリーを念頭に開発された車もあれば、フィアットの131のように、平凡な乗用車が一夜にして世界の桧舞台に立つこともある。

ベースの131は、フロントに1.3Lまたは1.5Lのエンジンを置き、後輪を駆動させる、当時としては中庸な構造で、デザインも社内で済ませた小型乗用車だ。写真の1977年モンテカルロラリー優勝車と比べるとかなり大人しい印象に。

当時、傘下のランチアがストラトスでラリー界を席巻するのを目の当たりにし、フィアットも自分たちの車でラリーに参戦しようと画策する。

当初はストラトスのようにラリー専門車も検討したと言われているが、結局「量販車のほうが商売的に美味しい」と考え、131に白羽の矢を立てた。

アバルトは131のボンネットやフェンダーをFRP製に、ドアの外側をアルミに変えるなど軽量化し、足回りも変え、2Lエンジンを載せてフィアット・アバルト 131ラリーを制作した。中古車はほとんど流通していない。

もちろん勝たなければ意味がない。そこでパートナーとして選んだのがアバルトだった。

もともとアバルトはチューニングメーカーとしてフィアット500(チンクエチェント)をはじめ、フィアット製の量産車を戦闘マシンへとチューニングして名を馳せた。その活躍がフィアットの目にとまり、この頃既に同社の傘下に収められていたのだ。

アバルトは131の2ドアセダンをベースに大幅に改造。フィアット・アバルト 131ラリーとして規定台数が生産されるとともに、ストラトスの後を継ぐようにWRCで1977年、1978年、1980年と3回ワールドチャンピオンに輝いた。

 

■ランチアのラリー復興の夢を見たフィアット「ランチア ラリー037エボリューション2」

1982年にWRCのレギュレーションが変わって市販車の規定台数がグッと減ったため、ベースの市販車をあまり気にしなくてもよくなった。

そこでフィアットはランチアのラリー界での復権を目指し、グループの総力を挙げてランチア・ストラトス同様、あくまでもラリーで勝利できる車を開発した。それがラリーだ。

開発コードの「SE037」の037を取ってラリー037や037ラリーなどと呼ばれている。写真は排気量を2Lから2.1Lへと拡大したエボリューション2のワークスカーだ。

製作を指揮したのはアバルトで、エンジンの製作も担当した。

また骨格であるシャシーは、ストラトスのときのようにジャン・パウロ・ダラーラが、デザインはフェラーリ各車をはじめ、数多くの美しい車を生んでいたピニンファリーナが手掛けるという豪華な制作陣だった。

名門カロッツェリアのピニンファリーナによるデザインは美しいだけでなく、風洞実験を繰り返して、戦闘能力も高められていた。日本にもごくわずかだが市販モデルが輸入されたよう。

アウディがクワトロでラリー界の常識を4WDに変えようかという勢いのなか、最高出力205psを発揮する2Lエンジンをシートの後ろに載せて後輪を駆動させるMRで挑み、1983年にWRCのワールドチャンピオンに輝いた。

しかし翌年からは4WD勢に苦戦するようになり、のちのランチア・デルタS4につながっていく。

 

現在のWRCでは、この当時より規定が緩和されたものの、一定の台数以上を生産している市販車ベースであることに変わりはない。世界一の過酷なレースを駆け抜ける車の市販モデルのハンドルを自分も握ることができる。これはラリーカーの大きな魅力のひとつなのだ。

 

籠島康弘=文

# フィアット# ラリーカー# ランチア
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