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2020.07.23

今でも人気の初代「レンジローバー」に見る“シンプル・イズ・ベスト”の境地

「人気SUVの初代の魅惑」とは……

ランドローバー:初代「レンジローバー」

雨がしとしと振る中、膝まで隠れるバブアーのオイルドジャケットを羽織って、250エーカー(東京ドーム約21個分)の農園を見回りに出掛けなくちゃならない。
そんなイギリスのカントリージェントルマンのために生まれたのが、レンジローバーの祖である「ランドローバー」だ。
当時のSUVはリーフスプリング(板状の鋼を複数重ねたもの)が多かったが、レンジローバーは4輪すべてコイルスプリング(バネ)とした。これが乗り心地を良くするとともに、路面状況を問わずタイヤを地面に押しつけ、悪路走破性を高めた。
バブアーを着ていたかどうかまでは定かではないが、250エーカーの農地を本当に持っていたカントリージェントルマンのモーリス・ウィルクスと、その兄のスペンサー・ウィルクスがローバー社にいたことが、ランドローバー開発のきっかけとなった。
モーリスは自身の農地管理のために軍から払い下げられたアメリカ製のジープを所有していたのだが、交換部品がなかなか手に入らないという不満を抱えていたからだ。
2ドアでデビューしたのはエンジニアの考えによるものだが、もうひとつ、当時のローバー社はまだブリティッシュ・レイランドの一部門に過ぎなかったゆえ、2モデルの生産が資金的に難しかったからだとも言われる。10年後の1980年に4ドアモデルが限定販売され、翌1981年からラインナップに加えられた。
きっと同じようなカントリージェントルマンは多いだろうし、だから同様の車を作れば売れるはず。そう考えた兄弟は、第二次世界大戦の傷跡もまだ残る1948年に「ランドローバー」をデビューさせる。兄弟の目論見通り注文が殺到し、海外へも飛ぶように売れた。その後「ランドローバー」はシリーズII、シリーズIIIへと発展していく。
この好調なセールスを受け、モーリスは次にステーションワゴンに「ランドローバー」の性能を持たせようとプロジェクトをスタートさせたが、結局うまく行かず頓挫してしまう。
このとき開発されていた車は「ロードローバー」と呼ばれていた。
当初は高級車ではなく、市井の人や農業用途にも使ってもらえるように開発されたという。そのためバックドア下部はピクニックテーブルにもなるし、採れた野菜を載せるためにも使えるようにと備えられた。
しかし1960年代になると、多くの人々が郊外へキャンプや釣りといったレジャーに出かけるようになった。
カントリージェントルマンにしても、農地だけでなく、街へ買い物に行かなくてはならない。荒れ地も。街も走れる車を。そこで「ロードローバー」計画が復活する。
ただし新しい開発チームは、乗用車に「ランドローバー」の機能を加えようとした「ロードローバー」とは逆に、「ランドローバー」に乗用車のような快適性を加える方向で試行錯誤を続けた。


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