乗りたかったのは、キブンが乗るクルマ Vol.114
2020.06.30
CAR

国内販売終了した三菱「パジェロ」。初代はSUVの民主化の礎を築いた功労車だ

「人気SUVの初代の魅惑」とは……

三菱自動車:初代「パジェロ」

新型スズキ「ジムニー」が1年以上の納車待ちになるほど人気を集め、トヨタ「RAV4」が久々に国内市場へ復活した2019年。

かつてスキー場へデートに行くなら彼女にいちばん喜ばれたと言われるほど人気を集めた三菱「パジェロ」が、密かに国内販売を終了した。

1982年に登場すると、毎年のようにバリエーションを増やしていった「パジェロ」。写真は1983年登場のハイルーフ仕様。当時3ナンバー車は自動車税が5ナンバー車の約2倍するほど「贅沢品」と考えられていたため、5ナンバー車もいち早く用意した。

SUV市場がますます活況を呈していく中での引退は、「ゆく河の流れは絶えずして〜」という方丈記の一節を、学生時代以来に思い出してしまった。

河には常に水が流れているけれど、そこに流れるのは同じ水ではない。

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ジープの代わりとして開発されたパジェロ

戦時中「零戦」を作っていた三菱重工業は、戦後スクーターくらいしか作ることが許されなかった。1953年にアメリカのウィリス・オーバーランドのジープをノックダウン生産(部品を輸入して組み立てる)する契約を獲得したことで、車の生産に携わるようになり、1960年に初の自社製自動車「三菱500」を開発する。

この三菱重工業の自動車部門が1970年に独立して三菱自動車工業となった。翌年にはアメリカでの販売を開始するなど、最初から海外での販売を積極的に展開していく。ちょうど「モーレツ社員」という言葉が流行った頃で、商社を筆頭に三菱グループが「スリーダイヤモンド」を世界的に広めていった時代だ。

「コルトギャラン」や「ギャランΛ(ラムダ)」に「Σ(シグマ)」……と、三つの菱形が入った車の海外販売も好調に推移していくが、唯一売るに売れない車があった。それが先述した三菱製のジープ(結局1998年まで生産を続けている)だ。

ジープの商標権は、1953年のカイザーによるウィリス・オーバーランド買収以降、買収の繰り返しで1970年にアメリカン・モーターズ(AMC)、1987年クライスラーへ移っていくが、とにかく三菱自動車としてジープを海外へ販売することは許されない。そこで「自社でもジープのような多目的車を」と1982年に開発したのが、初代「パジェロ」である。

1982年デビュー時はショートボディのメタルトップ(左)と、写真のキャンバスモデル(右)がラインナップ。

海外向けに生産していた小型ピックアップトラックの「フォルテ」のシャシーを使い、「ギャラン」に載せていた2.3Lディーゼルエンジンと2.3Lディーゼルターボエンジン、2Lガソリンエンジンをショートボディに搭載。

当時の4WD車としては多段となる5速MTを組み合わせ、副変速機を備えたパートタイム式4WD車とした。

しかも当時の一般的なパートタイム式と異なり、いちいち車の外へ出てタイヤホイールのロック/解除をしなくても2WD/4WDを切り替えられるようにしている。

ターボ車には自車の傾斜角度を示す傾斜計と油圧計、電圧計の3連メーターを中央に装着。運転席シートはショックアブソーバーを内蔵したパンタグラフ機構を採用して、車の振動を直接ドライバーに伝えないようにするという本格仕様だ。

初代「パジェロ」がヒットした理由のひとつは、2WD/4WDの切替が楽なことにうかがえるように、悪路走破性の高い車を、普通の人も乗れる自家用車にしようと目指したことにある。

しかもサイズは当時も人気だった「ランドクルーザー」よりもコンパクトで、全幅が1700mm以下の小型乗用車サイズ。当初こそ4ナンバー車(小型貨物車)のみだったが、デビューの翌1983年には、ランクルより先に乗用車要件を備えて5ナンバー車をラインナップ。

その後も7人乗れるワゴンタイプなどバリエーションを次々に拡大していく。さらに発売翌年から参戦したダカールラリーでの活躍によって、日本だけでなく世界中から人気を集めた。

初代から参戦していたダカールラリーでは、7大会連続を含む通算12回の総合優勝を果たしている「パジェロ」。ラリー人気の高いヨーロッパでも人気を博している。

折しも日本では国民総レジャー時代。1987年にはバブル景気に突入し、同年に『私をスキーに連れてって』が大ヒットするほど、スキー人口は増加の一途をたどる。

こうしたイケイケな右肩上がりの波に「パジェロ」は見事に乗り、1991年に2代目へとバトンタッチ。1994年に始まったテレビ番組『関口宏の東京フレンドパークII』で最高景品となり、毎週のように「パ・ジェ・ロ! パ・ジェ・ロ!」とテレビで連呼されるなど絶頂期を迎えることになる。

モデル末期の1989年(平成元年)には自動車税の課税方法が変わり、ボディサイズを問わず、排気量のみで課税されることに。これを受けワイドフェンダーとタイヤを備えたモデルも用意された。

それまで4WDといえば軍用車か、ランクルのようなプロ仕様(商用車)しかないと思われていた時代(軽自動車のスズキ「ジムニー」があったが)。そこに「誰もが気軽に乗れる四駆」として登場したのがパジェロだった。

軍事由来の技術が、デートの必須アイテムになるのだから、本当の意味でSUVの“民主化”を果たした車だったと言えるだろう。日本での生産終了は悔やまれるばかりだが、海外では今も販売が継続され、プロからファミリーまで幅広く愛され続けている。

「人気SUVの初代の魅惑」とは……
今はまさにSUV興隆の時。戦後、軍用車をベースに開発した車をルーツに持つSUVは多種多様な進化を遂げ、今や世界中で愛されている。そして、どのSUVにも当然、初代がある。そこには当代が持たない不動の魅力があり、根強いファンがいる。彼らを夢中にさせる“人気SUVの初代の魅惑”を探ろう。上に戻る

籠島康弘=文

# SUV# パジェロ# 三菱# 初代
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