「日常に潜む社会の闇」とは......大阪の西成区、中でもあいりん地区は、かつては日雇い労働者が集まる「ドヤ街」として知られているが、最近では外国人や若者の観光客も増加。街も以前に比べてすっきりとし、危ない印象は変わりつるある。が、実際はというと……?
四半世紀前から西成に通っているルポライターの村田らむさんがその実態を明らかにする!
案内人はこの方!
村田らむ●1972年生まれ。ライター、イラストレーター、漫画家。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海など、アンダーグラウンドな場所への潜入取材を得意としている。キャリアは20年超え、著書も多数。自身のYouTubeチャンネル「リアル現場主義!!」でも潜入取材や社会のリアルを紹介している。
四半世紀前と現在、ドヤ街の違いは?
最近のドヤ街・西成についての感想を見ていると、「昔と比べてキレイになった」「もうヤバい街ではなくなった」と語られていることが多い。
では、実際はどうなのだろうか? 四半世紀ほど西成に通っている僕が、さまざまな点から検証してみたいと思う。
「ドヤ街」の“ドヤ”は、宿(ヤド)を逆さに読んだ隠語。つまりホテル街という意味だ。ただし、ホテルといっても実態は簡易宿泊施設や木賃宿と呼ばれるようなもので、部屋の広さは2畳ほどと狭い。その代わり、1泊1500円〜3000円ほどで泊まれる。
現在の西成も変わらず安宿、ドヤは並ぶ。
もともとは日雇い労働者向けに作られた施設で、昔は一軒一軒回って空いている部屋を探さなければならなかったが、現在では予約サイトで予約できる宿も増えた。
25年前、僕は当時500円で泊まれるドヤをいくつか根城にしていた。部屋の真ん中に板を敷き、上下に分けて泊まる形式で、上が500円、下が800円だった。まるで蜂の巣のように多くの人が泊まっていた。ほとんどの人が部屋でタバコを吸い、自炊もしていたため、もし火事が起きていたら、おびただしい数の人が焼け死んでいたと思う。
かつての西成・ドヤ街にあった宿泊施設。
僕はかなりの回数ドヤに泊まったが、トラブルに巻き込まれたことはない。ただ、夜中に奇声を上げる人はいるし、酔っ払いがトイレでオエオエと吐いている音も聞こえてくる。
ちなみに現在、西成のドヤの1階でこの原稿を書いているのだが、窓を開けるとゴミが大量に捨てられていて、その中には注射器もあった。何に使った注射器なのかは……想像するしかないが、まあそんな場所なので、女性が単独で泊まるのはおすすめしない。
現在のドヤにも怪しいゴミはまだまだある。
1日いくらの日雇いで働く労働者たちが全国から集まり、ドヤに泊まりながら働く。これが僕が取材を始めた25年前の西成だった。そしてドヤに寝泊まりする労務者には酒や麻薬に溺れる人も多く、ホームレスも多かった。
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