OCEANS

SHARE

2022.11.03

ファッション

廃棄寸前の「501」を20トン購入! 名作を再生させるワンオーファイブ、これまでの道のり

ボタンレスのロングコート。古着の「501」の色落ちを活かし切った、個性溢れるコートだ。17万1600円/ワンオーファイブ・デニムトウキョウ(ヤマサワプレス 03-5242-8377)

ボタンレスのロングコート。古着の「501」の色落ちを活かし切った、個性溢れるコートだ。17万1600円/ワンオーファイブ・デニムトウキョウ(ヤマサワプレス 03-5242-8377)

▶︎すべての画像を見る

古着のリーバイス「501」を分解し新しい服へと再生させる。ワンオーファイブ・デニムトウキョウ(以下、ワンオーファイブ)のもの作りはとてもシンプルだ。

だが話を聞けば、シンプルだがきわめて困難な道を選択したと言わざるをえない。

ブランドを運営するヤマサワプレスの代表取締役、山澤亮治さんが設立の経緯を語ってくれた。

LAで大量の「501」を購入。10トンのはずが20トンに⁉︎

ヤマサワプレスの代表であり、ワンオーファイブのディレクターを務める山澤亮治さん。若い頃は波乗り三昧の日々を過ごした筋金入りのサーファーでもある。プレス職人の父とともに、1995年にヤマサワプレスを設立。

ヤマサワプレスの代表であり、ワンオーファイブのディレクターを務める山澤亮治さん。若い頃は波乗り三昧の日々を過ごした筋金入りのサーファーでもある。プレス職人の父とともに、1995年にヤマサワプレスを設立。


「私たちはファッションプレス(※)や検品、補修など、いわば裏方の仕事を請け負う会社。この仕事で培ったノウハウとリソースを活かして“自分たちが主体的に発信できること”を始めたかったんです」。

ビジネスとして注目したのが古着。当初はデニムだけではなく古着全体を視野に入れていた。リメイクや修理を施し、小売りあるいはBtoBの事業形態も含め販売を模索していたという。

となればまずは仕入れ。2019年、山澤さんは古着流通の本場であるLAへと向かった。

「業者を回っていたとき“廃棄予定の『501』が大量にある”という話を耳にしたんです。詳しく聞けば、何と10トンも在庫を抱えていると」。

とはいえ現地では他のリサーチのスケジュールもあり、実際にその「501」を見ることはなかったそう。だが帰国後、LAから送られてきた在庫の画像を見て、改めて引き取ろうと決心した。

「理由は本当に単純で、それが『501』だったから。私自身が初めてはいた、今も変わらずいちばん好きなデニム。もし『501』以外だったら、ブランドを始めることはなかったと思います」。

購入の意思を先方に伝えるとさらに驚くことを言われた。実はもう10トン、買い手のつかない「501」があるのだと。

山澤さんはこの話にもOKを出した。つまり計20トン、約4万本の廃棄寸前の「501」を入手したのである。

LAからの「501」はコンテナに積まれこんな“固まり”でやってくる。写真の量は約1トン。「デニム de ミライ」での取り組みは米国リーバイスからもプロジェクトとして認められた。そのサステナブルな姿勢が評価されたのだ。

LAからの「501」はコンテナに積まれこんな“固まり”でやってくる。写真の量は約1トン。「デニム de ミライ」での取り組みは米国リーバイスからもプロジェクトとして認められた。そのサステナブルな姿勢が評価されたのだ。


無謀に思えるがビジネスの目算がないわけではなかった。パーツを分解してパッチワークのデニム地を作れば、ファッションとして面白い素材になると。

「ヤマサワプレスとして取引のあるアパレルメーカーにデニム生地を持参して、服を作ってほしいと営業しました。でもすべて断られて。

日本のメーカーの服は見た目や品質が同一であることが前提。一つひとつ異なる色の素材を使った服などは成立しないというのが業界の常識なんです」。

使える目処の立たない古着の「501」が20トン。普通なら頭を抱える話だが、熟達の経営者である山澤さんは切り替えも早かった。

誰も作れないなら自分たちで作ればいい。こうしてワンオーファイブはそのスタートラインに立ったのである。


2/3

次の記事を読み込んでいます。