日本人は「朽ちること」に対する独特の美意識を持っている
「ただ究極を言ってしまえば、実は“サステイナブルなもの作り”自体がアイロニーを含んでいるんですよ。
僕らのようなファッションブランドはもちろん、経済的活動を続けるすべての企業は存在しないほうがいいのですから。地球にとってはね」。
誰もが心のどこかで思っていたことを、三原さんはさらりと言う。
「すべての企業が、すべてサステイナブルな素材でもの作りをしない限り、地球環境は大きくは変わらないと思います。何しろ僕ら自身だって、ジェネラルスケール以外の服を作って活動していますからね。
だからこのスニーカーは、問題解決ではなく問題提起。循環可能な社会、サーキュラーエコノミー(※1)の実現をちょっとずつ目指していきましょうよ、という。
ファッションデザイナーができることなんてそれくらい。それくらいですが、業界には何らかの影響を与えたいですね」。
声を張り上げることなく、現状を冷静に見つめて自分なりの役割を果たす。もちろん熱意と決意を込めて。オーシャンズ世代の男たちなら誰もが納得するであろう大人のやり方だと思う。
さてここで、サステイナブルな視点はいったん脇に置く。いちファッション好き、いちスニーカー好きとして、ジェネラルスケールを改めてチェックしてみたい。
まず興味深いのは、長く履き込んだような味のある風合いだ。アッパーの生地の端は擦れたように、ゴムのトウキャップは経年変化して朽ちたように、アウトソールは擦り減ったように加工されている。
「“PAST(=過去)ソール”と呼んでいます。新品ですが、過去のデザインを見ているようにも感じる。そして過去を感じさせつつ、実は長く履いた先の未来が表現されている。この一足に時間のパラドックスがあるんですよ。
また、そもそもなぜヴィンテージ風に仕上げたのか。それは日本人のなかに、朽ちることに対する独特の美意識があるから。あらゆるものはいつか朽ちます。そして朽ちるからこそ美しいのです」。
学生時代に独学で靴を作り始めて以来、実に四半世紀を超える「時間」を靴製作に注いできた三原さん。当然靴に対する想いは深い。そして「時間」という概念そのものが、三原さんのクリエイションに大きな影響を与えているのだとも思う。
それでも我々は、まずはこのスニーカーの見た目の格好良さや洒脱なユーモアに、素直に惹かれればいいのではないか。
いつものデニムに合わせようか、波乗りに行くときのショーツに合わせようか。そんなふうに、ファッションとして純粋に楽しめばいい。そして知らず知らずのうちにジェネラルスケールの問題提起を受けとり、この先の「時間」のなかで、サステイナブルに対する自分なりの判断を重ねていけばいいのである。
そう、ジェネラルスケールのもの作りについてもうひとつ伝えておきたいことがある。それは各製造工程において、熟練の職人たちによる手作業の技が駆使されているという点。
ソールを作るフランスの工場では、機械をいっさい使わずにゴムの乳液を型に流し込む。アッパーを製作するスペインの工場では、職人が各パーツを手早く丁寧に縫い付けていく。技術に敬意を払い、決して大量に作らない。
靴作りの本質、いや、もの作りの本質がこのスニーカーには備わっている。
3/3