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2017.02.25

ライフ

咽喉科で笑えた頃が幸せか 咽喉科じゃ笑えなくなった今が幸せなのか


寒さが凍みる季節、街行くサラリーマンはダウンコートに身を包み、 乾燥で割れた唇にリップクリームを塗っている。
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私は古くからの日本の友人と、ランチをするため信号待ちをしていた。
すると、私と同じく信号待ちをしている40代のサラリーマンふたりが何やら会話をしていた。
自然とふたりの会話が耳に入ってくる。 ひとりが、おもむろに耳鼻咽喉科の看板を指差し、 「昔は咽喉科ってだけで笑えた時代なかった?」と言った。
 
【インコウカ……で笑う時代?】
日本にはそんな時代があったのか? 日本の歴史はひと通り学んできた。
しかし、私の知っている歴史にそんな時代は存在しない。
その言葉にもうひとりが「咽喉科で笑えた頃が幸せだったのか? 咽喉科じゃ笑えなくなった今が幸せなのだろうか?」と遠くを見つめ名言調に吐き出した。
意味がわからない。日本に来て十数年、日本にもだいぶ慣れ、道行く外国人観光客に上から目線で話しかけていた私が……知らない日本がそこにある。
ランチをしながら、友人にそのことを問いただしてみた。
日本語で言うところの「淫行」と読みが一緒のため、思春期の頃はその響きでニヤニヤしていたということらしい。
なるほど……スペインの人が「加賀(=うんこ)まりこ(=オカマ)」でニヤニヤしてしまうのと同じことのようだ。 実にくだらない。 くだらないが、禅問答のようで面白い。
【インコウカで笑える幸福・笑えない幸福】
人間は、知識や経験を得ることで、無限の可能性を減らしていく。
生まれた瞬間、人間には無限の可能性がある。
何も知らないからこそすべての可能性を秘めているのだ。
しかし年を重ね知識や教養を得ることで、「自分はこれが得意だ」「これはできない」「これは面白い!」「これはつまらない」など、自分の進むべき方向や感性を身に付けていく。それは同時に、無数に伸びた無限の可能性の道を減らす行為でもある。
これが、知りたいけど知らないから笑えたことが、念願かなって知ることで笑えなくなるという矛盾を生む メカニズムだ。
ではどちらが幸せなのか……きっとどちらも幸せなのだ。
我々はたくさんの知識と教養を武器に、社会に立ち向かい、今の地位を築き上げた。私は今幸せである。 しかし、インコウカという響きに、妄想を膨らませていた幼き私もまた幸せだった。
ただひとつ言えることは、大人になっても咽喉科という言葉で笑えるような無邪気さを持っていたら…… キモい。
文:ペル・ワジャフ准教授

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