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「男子26人、女子27人」はスゴすぎです……。将軍・徳川家斉が「53人も子供を作った」ワケ

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

「江戸のビッグダディ」はレベルも段違い

Q1:徳川家斉って誰ですか?
江戸時代後期の人物で、徳川幕府第11代将軍です。

1773年、一橋徳川家の第2代当主、一橋治済(はるさだ)の長男として生まれ、その後嫡子を失った10代将軍、徳川家治(いえはる)の養子となり、1787年に家治の急死の後を受けて15歳で将軍に就任しました。

以降、徳川幕府の歴代最長となる50年の将軍在位期間を経て、息子の徳川家慶(いえよし)に将軍職を譲り、1841年に69歳で死去しました。

Q2:「子どもが53人もいた」というのは本当ですか?
本当です。記録を見るかぎり、徳川家斉には17歳から55歳までの間ほぼ毎年、子どもが誕生しており、男子26人、女子27人の名前が確認できます。

さらには、生まれる前に流産した子どもが7人ほどいたらしく、ここまで多くの子どもをつくった人は、将軍家をはじめ同時代の諸大名の中でも群を抜いています。

注:「2女子」と「5男子」は誕生直後に死亡したため、俗名がない。 出所:別冊太陽『徳川十五代』(平凡社)をもとに編集部が作成。

Q3:徳川家斉の奥さんは、いったい何人いたのですか?
正妻である第8代薩摩藩主、島津重豪(しげひで)の娘の広大院を筆頭に、「側室が24人」、彼女らの使用人として働く女性の中からも「“お手付”がさらに20人以上」いたといわれています。
ただし、これらは諸説あり、正確な人数は不明です。

Q4:徳川家斉は奥さんたちと、どのように暮らしていたのですか?
当然のことながら、将軍には多くの大名に課せられた参勤交代の義務はありませんので、つねに江戸城内で同居していました。

江戸城本丸の広大な御殿は、幕府の執務を行うエリアと将軍の居住エリアとに大きく分かれており、後者の一画に将軍の妻や側室が生活する、いわゆる「大奥」がありました。

大奥は将軍のプライベート空間も兼ねており、住み込みで働く女性たちの数は、時代にもよりますが全体で600~700人にものぼりました。

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子供 , 将軍 , 少子化 , 徳川 , 東洋経済
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